「力」をつけたい、そう思った。
キング牧師は言う。
「愛なき力は暴力であり、力なき愛は無力である」
これを聞いて、私もある言葉が浮かんだ。
「声なき力は相手にとって都合のいい人間で、力なき声は遠吠えである」
と。
なんか収まりは悪いけど、言いたいことは伝わるだろうか。
自分の「声」、意見を持たずに持っている力というのは、力の無駄遣いだと思っている。
というよりかは、相手にとって”都合のいい人間”という方がわかりやすいかもしれない。
相手の言うとおりになって、力はあるから結果は残せる。それってどうなのかな、とも思うけど。
そして力なき声は遠吠えだと思っている。
遠吠えでも吠えないよりマシかもしれないが、その声に説得力はない。
少し突き放した考えなのかもしれない。だけど現実的に考えてその声はきっと届かない。届いたとしても長続きはしない。それは例え強い思いがあったとしても。
だから「声」に「力」を持たせたい。力をつけたい、そう思った。
人間感情的に動くことは簡単だ。
ただ感情的に動いても良いことは基本何もない。
私自身よく見ていたドラマである「3年A組―今から皆さんは人質です」にもこんな言葉が登場してくる。
「大事な決断をするときは、グッと踏みとどまって、クルっと頭を一周させればパッと正しい答えが浮かぶ。グッ、クルッ、パッ、だ。」
これはまさに現代風刺のドラマでとても興味深かった。
誰でもいつでも投稿できるSNSという便利なものが普及したばかりに、感情的な状態のまま何かを投稿し、それが思わぬ拡大をする、ということ。
実際に現状の社会(とまですると大きく出すぎかもしれないが)は力なき声が多数重なることで良くない「力」を持ってしまっている側面もあるが。
あたかもその声が「正論」のように聞こえるなど。これはこれで問題だ。
でもこれは別に現代風刺で片づけていいものではなく、日常から通ずるものだと思った。
感情的に怒鳴りつけたり、憎しみを持ったり。情報を判断しようとせず、悪い側面だけを見たり。
でも感情的に動いたその行動は、まさに力なき声であり、相手を傷つけ、自分も罪悪感に苛まれる可能性がある(そのことにすら気づかない人もいるかもしれないが)。
だから「グッ、クルッ、パッ」の考えは常に頭の中に置いておきたい。
グッと踏みとどまって、クルっと頭を一周させることで一度冷静になる。そうすればパッと正しい答えが見えてくるかもしれない。
理想を言うのは簡単だ。
「○○したい」「○○を叶えたい」
それが長年の目標であろうと、一時の感情であろうと関係ない。
「じゃあそのためにあなたは何したの?」って聞かれた時に、何も答えられないようじゃ、その思いに深みはない。
まさに力なき声の典型だ。
感情的に動くのは簡単だ。
だってそうすることで自分にとって気持ちいいから。
理想を言うのは簡単だ。
それが実現した未来を想像するだけで気持ちいいから。
でも、そんな状態で終わるのは嫌だ。口だけで終わるのは嫌だ。
力をつけたいと思った。
その「力」の正体が何なのかはわかっていない。
だけどこのままじゃいけないということはわかっている。
現状に満足せず、常に向上心を持って。
だけど冷静さは脇に兼ね備えて。
声も力も持てるように。
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