「年忘れ」してはいけない1年
12月31日。
今日は2020年最後の日だ。
よく年末の時期になると「忘年会」だったり、
「年忘れ」という言葉を耳にする。
そもそも年忘れとはどういう意味なのか。
「年の暮れに、その年にあった苦労を忘れること」
と、goo辞書には書かれていた。
だけど今年は、恐らく世界中の人が"大変"と"混乱"に包まれたいう意味で
忘れられない年になったと思うし、
私にとっても忘れられない、忘れてはいけない年になった。
世界中にとってはやはり新型コロナウイルスと戦った1年だろう。
未だにゴールは見えておらず、戦い続けている。
なんといっても私にとってのこの1年は縦軸で「就職活動」だった。
まず1月に大きな決断があった。
それは公務員ではなく、民間就職に絞るということ。
経緯は色々ある。ただ単に就職した先にある「働く」ということに対しての不安だけではない葛藤や悩みがあった。
それまで自分は人に弱さをさらけ出すことから逃げていた。
どう思われるかも気になるし、大変なのは自分だけじゃないとも思ってた。だから自分の心の中で、消化してきていた。
でもそれはもう限界だった。
自分でもどうしたらいいかわからなくなった。
だけど、家族に打ち明けるほど正直信用はできない。
そんな時、初めて「この人になら打ち明けてもいい」と思える先輩に出会った。
解決はしていないのかもしれない。だけど心のモヤモヤが晴れたのは自分でもすぐにわかった。
それまで自分は弱い顔を見せるのが苦手だった。
その日から自分は弱い顔を見せることが怖くなくなった。
そんな風に成長できたタイミングでもあった。
民間就職に決めたはいいものの、一筋縄ではいかなかった。本当は6月くらいに内定もらって、そっか、卒業論文頑張って。そんな風に考えていた。
結局内定をいただいたのは11月。
確かに今年の就職内定率は例年に比べ、低いのかもしれない。
だから周りは言ってくれる。
「今年は大変だからね」
でも自分が一番よくわかっている。
自分の力が足りていないという現実に。
正直、就活が上手く行っていない時、
「大人しく公務員の勉強しといた方がよかったかな」
と思うこともあった。でもそれは、本気で公務員目指している人にも申し訳ないし、目の前の現実から逃げようとしているだけだった。
途中、何度も心が折れそうな時もあった。いや、もうほぼ折れてた。
たまに「弱音を吐いたら楽になるよ」という声を聞くこともある。
弱さをさらけ出すことが出来る様になったから、その選択もあった。
でもそれ以上に、ここで弱音を吐いたらもう帰ってこれない気もした。だから踏ん張った。やっぱりMだ。
そういった苦労を経ながらも、
最終的には内定をいただくことが出来た。
自分は恵まれている人間だと思う。
Twitterでの就活ということで内定先は注目を集め、
たまたま私がTwitter経由で内定をいただいたから、
本社がある県の夕方のテレビニュースに取材された。
まさか自分の地元ではないところでテレビデビューするなんて夢にも思わなかった。
でもそれくら貴重な経験をさせてもらっている。
このnoteも今年から本格的に書き始めた。
最初は何となく書いていたが、
いつからか自分の思いや悩みを書くようにもなった。
そして他のクリエイターさんの文章に刺激を受けることも多かった。
気づけば私の新しい居場所になっていた。
"年忘れ"
その年にあった苦労を忘れること。
今年であれば、これまで生きてきた中でも1,2を争う苦労した年だったと思う。
でもそれは自分の成長にとって必要な苦労だったとも思う。
この苦労を忘れず、むしろ胸に刻み込んで、
来年以降も頑張っていきたい。
そして今年のように、
ちょっと苦労するかもだけど忘れられない1年を積み重ねて、歳をとっていきたいな。
よいお年を。
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