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”手紙”

拝啓 この手紙 読んでいるあなたはどこで何をしているのだろう
15の僕には 誰にも話せない 悩みの種があるのです

アンジェラ・アキさんの「手紙~拝啓 十五の君へ~」、その歌詞の冒頭がふと頭に浮かんだ。

小学6年生の頃に歌った記憶がある(15歳ですらない)。


今日せっかく1歳レベルアップしたことだし、「人生丸ごとコンテンツ」を掲げている身として、歌詞と共にタイムスリップしてみたい。

・・・

今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じ歩けばいいの?
ひとつしかないこの胸が何度もばらばらに割れて
苦しい中で今を生きている

当時歌っていたころはそこまで歌詞の意味を考えていなかった気がする。

だけど今になればグサグサ刺さる。

”誰の言葉を信じ歩けばいいの?”

正直、まさにこの状態だった。

常にどこか半信半疑。信じられるのは自分だけ。

自分の「裸の心」を見せたことは一度もなかった。愛想笑いと強がりと。

過去の記事で、「もっと弱さを見せれればよかった」みたいに書いてはいるが、本音を言えばそんなの無理だった。確かにそれが出来たら最高なのだが、あの時、あの環境、あの状況では無理だったと今でも思う。

むしろあの当時弱さを見せていたら、もっと違う形で崩れ去っていたかもしれない。今の自分はなかったかもしれない。


でもずっと心は寂しかった

頼りたかった。甘えたかった。

そんな寂しさに蓋をして、見て見ぬフリをして。
強い自分を演じていた。
まさに「今」を全力で生きていた。

「明日」が少しでも明るくなることを願って。


「手紙」の歌詞は、そんな思いをありのままに語ってくれている。

他人の目には映らず、自分の中だけに存在する物も、未来の自分への手紙だから話せる。そして遠慮することなく、”こんな私はどうしたらいいのだ”と心の声をそのまま叫んでくれていた。


場面は、大人になった自分から十五の君へのアンサーにうつる。

拝啓 ありがとう 十五のあなたに伝えたい事があるのです
自分とは何でどこへ向かうべきか 問い続ければ見えてくる
荒れた青春の海は厳しいけれど
明日の岸辺へと 夢の舟よ進め

この歌詞は教えてくれる。

”今悩んでいることは無駄じゃないし、その先にはきちんと答えがある”と。

悩むことを肯定してくれる言葉、そして悩み続けることの意味を伝えてくれる言葉は、迷う心を後押ししてくれる。

悩んだ先に大人になった「自分」だからこそ伝えられる言葉なのだろう。

・・・

現実の自分はどうか。

若干まだ23歳だが、きっと同じアンサーをするだろう。

「悩んだ時間、苦しんだ時間は無駄じゃなかった」

と。

過去の自分の経験一つ一つがあって、今の自分がある。
そして今の自分は「好き」である。

それでいいじゃないか、と。

どうしてもこうやって過去の悲観的な部分を書いてしまうと「悲劇のヒーロー」のように見られてしまう。そういった見え方で書いてしまっているのも問題だが。

だけど自分の伝えたいことはそうじゃない。

そうやって辛かった過去も、嫌だった記憶もその一つ一つのおかげで今がある、それらを糧にして成長してきたんだと。

もちろん経験しなくていいならしたくはないものもあるけれど。



再び「手紙」の歌詞に戻る。

今 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの
大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど
苦くて甘い今を生きている

結局は少なくとも自分が自分を信じてあげられていれば何とかはなる。

そう教えてくれている。

過去の自分が崩れなかったのもこのおかげなのかもしれない。

そして「大人の僕も傷つく」という言葉に何だかホッとする。
生きていくうえで当たり前に向き合っていくべき課題なんだと教えてくれている。


・・・

十五の自分には悩みがある。

それは「今」の自分が答えを教えてくれた。
”その悩みは無駄じゃないよ”、って。

その「今」の自分にも「悩み」がある。

人間というのは悩みが尽きない生き物だ。

それに対してはきっとまたその先の「未来」の自分が優しく教えてくれるんだろう。

”その悩みは無駄じゃないよ”、って。


一つの悩みがやがて自分の血となり肉となる。

何よりそれを「無駄」にしないようにすることが必要なのだ。
だって無駄にしたら、ただ苦しんだだけだもん。


この記事を、アンジェラ・アキさんの「手紙」の歌詞と同様に締める。

拝啓 この手紙読んでいるあなたが
幸せな事を願います


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