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そもそもの"前提"に立てているか

「なんで相手はわかってくれないんだ」

と思うことはないだろうか。

別軸で言うと、

「なんで自分はこのまちがいに気づけなかったんだ」

と思うことはないだろうか。


伝える側と受け取る側。

一側面だけ見た時には正反対の立ち位置だけど、それぞれの想いに通ずる問題点があると思っている。

あえて結論から言う前に。
上記のような状況になった時、それぞれあなたはどう思うだろう。

▼「なんで相手はわかってくれないんだ」の時
・自分の伝え方が悪いのか
・相手の理解度の問題なのか

▼「なんで自分はこのまちがいに気づけなかったんだ」の時
・どうして違和感を感じなかったんだろう
・もっと注意してみておけばよかった

こればっかりではないけれど、この辺りは誰もが思いつく部分なんじゃないだろうか。

実際上記が問題となっているケースも多聞にある。

だけどそうじゃない時もあると思っていて。それというのが、タイトルにもある通り、

「そもそもの"前提"に立てているか」


例えば我々が小学生の時に最初から習うのが四則演算である。
足し算、引き算、掛け算、割り算。

問題の簡単難しいは様々あるけれど、全く解けないわけじゃない。解けなくても解説を聴けばある程度はわかる。

なぜなら"前提"がわかっているから。

1+1は2。そうやって増えていくのが足し算で、
1-1は0。そうやって引かれていくのが引き算で。

そういった前提を知っている。だからわかるし、最初わからなくてもあとあと理解できる。

ただここでM-1じゃないけれど、「見せ算」というものが登場したらどうだろう。何の前情報もなく、

「1見せ1の眼は?」

と聞かれたら「え?」となる人が多いんじゃないかと思う。

それにとどまらず、「じゃあ、、」といっていきなり相手が解説をし始めても説明の内容が全く頭に入ってこないと思う。

なぜなら”見せ”が何を意味するか分からないし、”眼”が何を意味するかわからないから。それらの前提情報がわからないから、それがわかっている前提で進められている話にはついていけなくなるのだ。


これっていざ仕事とか、いろんな場面で言えることだと思う。

相手がこっちの言ってること理解できていないな、と思った時、説明の仕方も問題かもしれないけど、それよりもまず、

「相手、前提の情報ちゃんとわかっているかな?」

と確認しなきゃいけない。これがなかったらいくら丁寧な説明をしたとしても、伝わるものも伝わらない。

自分が情報を受け取る時、何かわからないものに触れたらまずは前提情報を確認することが大事だ。それでもわからないことにも出会う。その時はその瞬間に学んでいくしかない。

だから過度に自分を責める必要はないと思う。


そもそもの"前提"に立てているか。

自分にも相手にも、意識をしたい大事な部分だ。


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