見出し画像

「没頭」が教えてくれること

押しも押されぬ人気芸人となったオードリーの若林さん。

そんな若林さんは文才でもあり、執筆活動もしている。その中から何冊かエッセイを買って読んだことがある。

今回はその中の1冊に登場してきた言葉について考えていきたい。
その言葉とは、

「ネガティブを潰すのはポジティブではない。没頭だ」


である。

自分の過去の話をすると高校くらいまでネガティブ思考が強かったけど、そのモンスターが現れそうになったら、音楽やスポーツやゲーム何でも良いから自分が没頭できるものに深く打ち込む。すると自然に消えていく
(本文より)

今までに考えたことがなかった視点だったので、少し自分なりに考えていきたい。

・・・

一般的に多くの人が考えるのは、

「ネガティブはダメだから、ポジティブになろう」

というものではないだろうか。ちなみに私はこの考えだった。

実際、ネガティブは周囲を悪い意味で巻き込むだけでなく、自分自身もどんどん悪い方向に向かっていくと考える。

ある種、自分で自分を洗脳している状態に近いと言えるだろう。

しかし逆に考えれば、それはポジティブにも活かされる。

自分のポジティブな行動が発言が、周囲を前向きにさせ、自分自身も前向きにさせる。

したがって言葉や行動は良くも悪くも周囲を自分を洗脳させるのだが、これのよいところは「コントローラブル」だということ。自分次第で何とかなる。だったらポジティブがいいよね、という考えだった。

その一方で、矛盾するようだがネガティブな感情を全く捨てていいというわけではない、と思っている。

実はネガティブには、その人の大事なSOSサインが隠されていることもある。そのSOSを、無理やり作ったポジティブで見えなくした時、そのメッキがはがれた瞬間、立ち直るのは厳しいかもしれない。

だから、個人的な考えとしては、

「9割のポジティブと1割のネガティブ」

このくらいのバランスだった。そこに今回登場してきたのが、第三の刺客「没頭」である。

・・・

没頭:一つの事に熱中して他を顧みないこと。

辞書的な意味から調べてみた。

そのものに熱中すること、これが簡単な解釈だろうか。

この「没頭」はポジティブと何が違うのか。考えるに、没頭状態というのはネガティブでもポジティブでもない領域なのではないだろうか。

1つのことに熱中する=周りが見えなくなる、他者と比べる必要がなくなる、そもそも目の前のことを楽しめている、一種の精神安定剤ともいえるだろう。

時間を忘れてまで集中して物事に取り組める状態。これが何か作業をする上での究極体なのかもしれない。

しかもポジティブという意識の問題ではなく、行動自体を楽しむという没頭だからこそ、一度その状態に入ってしまえば楽だし、自分自身に嘘偽りなく行えるようにもなるはず。

ただ、個人的な意見としては、没頭こそ自分の精神状態を確認するための材料に使うのが望ましいのではないかと考える。


・・・


何か思い悩んだり、疲れた時に自分が没頭できるものに取り組む。

本当に没頭できるものであれば、その疲れを忘れるくらい熱中するだろう。このときはまだ精神状態としては大丈夫だと判断したい。

一方で、本当に自分自身追い込まれているときは、いつも自分が没頭できるものでも体力・気力ともに限界となり没頭できない気がする。それをSOSサインとすれば、自分のピンチを発見しやすい。

つまり私の中で「没頭」はネガティブとポジティブの間にいる位置づけになる。

何かに没頭できているうちは、ひたすらにポジティブに突き進んで、いつも没頭できているはずのものがいつもと違う感覚になったと思ったら、一度立ち止まる勇気を持つ

そういったバランスを兼ね備える。


書いていて今思った。


「没頭」こそ自分の「ご機嫌取り」なのかもしれない。




いいなと思ったら応援しよう!

塩浦良太
今後の記事の質向上のための資金として使わせていただきます!