【新疆ウイグル旅行記】#4ウルムチ路地裏百景
2023年12月31日、宿泊していたトルファン大飯店からの朝日を撮影。2泊したトルファンの街を離れ、ウルムチへ向かう日である。
一つ前の記事(トルファングルメ編)はこちら。
ウルムチ駅
私を乗せた动车はほぼ定刻通り、ウルムチ駅に到着。駅出口には等間隔で地元警官が並び、露骨に厳戒態勢だった。駅を出ると乾燥地帯のトルファンとは打って変わって雪国であった。ウルムチ駅は郊外に建設された新駅のため、市街地まで移動のため、バス停を探した。
「生粋のウルムチ人は冷たい」というブログ記事を読んだことがある。新疆ウイグル自治区におけるウルムチは大都会であり、生粋の上海人、東京人が他者に関与しない・興味を持たないのと同じように、ウルムチ人も他者に関与しようとしないからだそう。この説は誤っておらず、私はウルムチに到着してすぐに、ウルムチ人の冷たさを身をもって実感することになった。
駅前のバス停を百度地図で把握し、その場に向かったが、バス停のサインもなく、バスも停車しない。不思議に思ってこちらの親子に聞いたが、見事に取り合ってもらえなかった。「はぁ?知りませんけど」といった感じ。
この後、タクシーの客引きおやじにバス停が移転したことを教えてもらった。移転のお知らせも掲示されており、200mほど移転したことは本当らしい。感謝の意を込めてタクシーに乗った。運転も丁寧で、客引きの民度は高かった。
国際大バザール(新疆民街)
宿にチェックインした後、地铁で新疆大バザールへ向かった。ウルムチは人口の大半を漢民族が占めており、ウイグル族は3割に満たないらしい。少ないウイグル族は国際大バザールの周辺に集中して居住しており、大バザール以外の地域では見かけることも少なかった。
国際大バザールはザ・中国式観光地で今ひとつ面白くなかった。下らないお土産とここぞとばかりに民族衣装を着た店員、大げさなモニュメントなど、中国政府が開発している中国の観光地はたいてい面白くない。(異論は認める)したがって写真もほとんど撮っていない。
南湖村(労働街)
地元住民の生活を感じるため、つまらない観光地を後にしてウルムチに入植した漢民族が住む街を探した。ウルムチの地下鉄には「新兴街」という駅がある。(繁体字では新興街)いかにも漢民族が入植した下町っぽい名前だったので、こちらで降車し、周囲を散策した。
漢民族エリアに入ると、まずは糖葫芦が目に飛び込む。さんざしやイチゴなどの果物で作られた飴である。(中国では冬になるとよく食べられるポピュラーなお菓子)ここだけ見ると大連や北京と変わらない。
南湖村(労働街)と書かれた門を発見し、散策を開始。街入口に荷物検査があるものの、賓館や川菜店、成人用品の店が並んでおり、路地裏に住宅の入り口がある。典型的な城中村のように見えた。
城中村の定義について振り返る。78年の改革開放以降において、都市の拡大に伴い都市近隣の農村は市街地への転用を迫られた。この際に、農地・宅地を国有地として収容された近隣の農民に対して、補償としてアパートが建てられた。しかしながら彼らは都市住民として生活するスキルセットを持ち合わせておらず、働き口を失っていた。
一方で同時期、都市における人手不足および農村の困窮に伴い、多くの農民工が都市へ流入していた。この結果、都市郊外に位置する安宿の需要が高まっていた。
そこで、アパートにに住む元農民たちはアパートを独自に増改築し、農民工に対する部屋の提供、飲食店、小売店の経営を行うことで生計を立てた。このようにして発生した、安宿、飲食店、小売店の密集地が城中村である。(孫ら, 計画行政 35(2), 2012)
ここ南湖村も、もともとウイグル族の農民が住んでいた農村が改革開放で都市化され、そこに東部に住んでいた漢民族の農民工が流入した結果形成されたのだろう。深圳や広州の城中村とは異なり、住宅密度はやや低く、余裕のある造りになってた。
飲食店の路地裏には炭火が放置されていた。炭火のおかげで体を温めながら昼~夜にかけて長期間散策することができた。昼夜の写真が入り混じっていることをご了承いただきたい。
ウルムチ街歩き編はここまで。次回の記事ではウルムチでの年越し模様を紹介する。
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