不死の狩猟官 第22話「これで敵に近づいた」
霧崎が次に目が覚めた時、そこは自室のベッドの上だった。
黒スーツを着たままスマートフォンを握りしめながら寝落ちしていた格好だ。
部屋はうす暗い。窓から街路灯の光がうっすら覗きこんでいる。
霧崎「やっば。今日は午後から飲み会だっけ」
霧崎は急いでベッドの上からガバッと起き上がると、そのまま洗面台に向かい、緩めていたネクタイを上げ直し、慌てて家を飛び出す。
目的地周辺の麻布十番駅に着くまでにはそこまで時間は掛からなかった。
霧崎は改札を抜け、階段を上り、外に出る。
霧崎「駅のすぐ近くって言ってたからこの辺だよな」
霧崎はそう呟きながら周囲を見渡す。
高層ビルや看板の明かりに照らされた夜の歩道には、仕事おわりのサラリーマンたちがちょうど駅に向かってぞろぞろと押し寄せているところだった。
霧崎は人混みの中から見知った顔を見つけ、おもむろに手を振る。
霧崎「うす」
色素が薄いショートカットの黒髪を揺らしながら、ひとりの小柄な黒スーツの女性が霧崎のもとにゆっくり近づいてくる。
ナギ「……」
挨拶の一つでも返してくれるのかと思いきや、ナギは冷たく霧崎を一瞥した後、そのまま素通りしていくではないか。
霧崎は少し慌てながら小走りでナギの背を追う。
霧崎「ちょ、ナギ先輩。無視は酷いっすよ」
ナギ「ごめん。気づかなかった」
霧崎「いやいや、バッチリ目あってたじゃないすか」
ナギ「勘違いでしょ」
ナギは抑揚がない冷たい口調でそう言うと、オフィスビル街の喧騒から離れた路地裏の中に入っていく。
路地裏に入った途端、なんとも香ばしい焼けた肉の匂いが漂う。
霧崎は思わず生唾を飲みこむ。
霧崎「もしかして今日の飲み会って……」
ナギ「焼肉だよ」
ナギはそう言って、赤い提灯が垂れ下がる古めかしい大衆焼肉屋の前に立ち、建てつけが悪い染み垂れた引き戸をがららと開く。
霧崎「よっしゃ!」
ナギ「ちなみにレイ先輩の奢り」
霧崎「え、まじすか」
ナギ「品川区奪還作戦の労いだって」
二人はそんな会話をしながら室内に入っていく。
店内には笑顔に溢れたスタッフたちが忙しく動き回り、客たちの注文に元気よく応えている。時折、ワイワイガヤガヤとした客たちの談笑に混じって、店員の明るい声が響く。
二人が店内を見渡しながら歩いていると、隅の御座敷から見慣れた顔が二人に向かって手を振っている姿が見える。
キルスティン「こっちこっちー」
霧崎「うっす。キルスティン先輩」
ナギ「……」
霧崎が呑気に手を振り返している間に、ナギはそそくさと小さい革靴を脱ぎ、御座敷の上にあがっていく。
霧崎も少し遅れてから御座敷の上にあがり、適当に空いていた座布団の上に腰を下ろす。
黒上「あいかわらずお気楽だな」
霧崎「げ、お前が隣かよ。レイさんの隣がよかったのに」
霧崎はそう言って、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら黒スーツ姿の黒上に視線を向ける。肩ごしには、黒スーツに眼帯をつけた白髪まじりの中年男性がタバコを吸っている姿が見える。
相良「レイなら今日は来ねえぞ」
霧崎「どういうことすか? おっさん」
相良はおっさんと呼ばれるやいなや、霧崎に鋭い視線を向ける。
相良「本来いまは三課は休暇中だが、レイは仕事が──」
相良はそう言いかけ、御座敷の外に視線を向ける。
ナギと黒上はとっさに御座敷から腰を上げ、御座敷の外に立つ黒スーツの女性に一礼する。
レイ「そんなに畏まらなくていいよ」
レイはそう言うと、よく磨かれた黒い革靴を脱ぎ、丁寧に揃えてから御座敷に上がる。そして、霧崎の向かい側に腰を下ろした。
ナギもまた静かに着席し、隣に座るレイの横顔を不思議そうに見つめる。
ナギ「今日は仕事だったのでは」
レイ「ちょっと気が変わってね」
レイはそう言って、冷たい青い瞳をナギに向ける。
その時だった。綺麗な金髪シニヨンヘアーの女性がメニュー表を握りしめながらテーブルに身を乗り出し、レイの横から顔を出す。
キルスティン「とりあえず乾杯といきましょ!」
霧崎「賛成っす」
レイ「それじゃあ、私はアイスコーヒーをもらえるかな」
ナギ「私はハイボールで」
キルスティンは調子よくうなずくと、すぐさま店員を呼び止め、いくつかの飲み物と料理を頼んだ。
ドリンクが届くのはすぐだった。
六人は顔を見合わせながらジョッキを掲げる。
「「「「「「乾杯」」」」」」
乾杯の後、各々は存分に焼肉を味わいながら終始にこよかに会話を楽しんだ。
楽しい時は過ぎるものが早いもので、御座敷の窓から見える夜景はより暗さを増していた。
レイは御座敷に座ったまま、染みたれた壁に掛かった古めかしい時計に目をやる。
レイ「そろそろお開きにしようか」
相良「もうそんな時間か」
相良はそう言うと、片手に持っていたタバコの火を灰皿に押しつける。
ほかの三課の者たちも雰囲気を察し、続々と帰り支度を始める。
レイはテーブルの上から伝票を取り上げ、御座敷から腰を上げる。
霧崎は待ったと言わんばかりに御座敷から立ち上がる。
霧崎「あの、俺も払います!」
レイ「今日は私の奢りだよ」
霧崎「でも、前も奢ってもらったんで悪いすよ」
レイ「気にしなくていいよ」
レイはそう言い残すと、優しくぽんと霧崎の肩を叩いた後、伝票を持ちながら店の奥へと消えた。
御座敷にひとり取り残された霧崎は革靴を履き、店の外に向かう。
外に出ると、路地裏はすっかり暗くなっていた。
街路灯の下、相良はタバコを吸いながら夜空を見上げている。隣には黒上が立っている。
一方、ナギは二人から少し離れた位置にある電信柱に背をもたれかけながらひとり佇んでいる。
次の瞬間、誰かが霧崎の肩に手を回した。
振り返って見ると、綺麗な金髪シニヨンヘアーの女性──キルスティンが頬を赤らめながら耳元で囁く。
キルスティン「ねぇ、きりっち。この後、いい事しよっか」
霧崎「いいこと?」
キルスティン「エッチ」
霧崎「はあ!? てか、酒くさっ」
霧崎は照れながら翡翠色の瞳に視線を向ける。唇が触れそうなくらい近いせいで、心臓の音がやけにうるさい。それだけではない。酒のせいで目はうっとりとしていて、頬は紅潮していて、なんとも艶めかしいのだ。
霧崎は思わず生唾を飲みこむ。
その時だった。焼肉屋の引き戸がガララと開き、店の中からスラリとした淡黄色のポニーテールの女性が出てきた。
レイ「ずいぶん仲が良さそうだね」
レイはそう言って、じゃれ合う霧崎とキルスティンに冷たい視線を向ける。
霧崎はレイの姿を見るやいなや、すぐにキルスティンを引き剝がし、まるで何事もなかったのように取り繕う。
霧崎「あ、いや、違うんすよ。キルスティン先輩、酔ってるみたいで」
レイ「なんでそんなに動揺してるのかな?」
キルスティン「そりゃあね。だって、きりっちはレイ課長のこと──」
霧崎「ちょ、やめてくださいよ」
霧崎の動揺ぶりにレイはくすりと笑った。
レイが笑う姿はよっぽど珍しいのか、その場にいた三課の者たちは少し驚いたようだった。
相良は焼肉屋の側にある灰皿の前に行くと、灰皿にタバコの火を押しつけながらレイに視線を向ける。
相良「ごちそうになった。俺は帰るぞ」
ナギは寄りかかっていた電信柱から背を離し、レイのもとに向かい、一礼する。
ナギ「ごちそうさまでした。私もこれで」
相良とナギはそう言って、麻布十番駅方面に向かって歩き出し、すぐに夜の闇の中に消えていった。
残された四人は顔を見合わせる。
レイ「それじゃあ、私たちも帰ろっか」
レイはそう言って、うす暗い路地裏の奥へ進む。霧崎、黒上、キルスティンはその後ろに続いた。
夜の闇が路地裏に広がる。街の明かりは遠く及ばない。まるで路地裏だけ街から切り離されたようだ。古びた無人の建物が続く。軒先にはシャッターが下り、蔦が壁を這っている。
霧崎は怪訝そうに周囲を伺う。
霧崎「なんか不気味っすね」
黒上「確かに。来た時とは雰囲気が違う」
キルスティン「それになんか肌寒くない?」
レイ「……」
不気味な静寂が支配する狭い路地裏に冷たい風が吹きこむ。
四人は路地裏の角を曲がる。すると、一本道の先にひとつの電柱が見えた。
電柱の上から伸びた切れかけた街路灯が絶えだえに闇を照らす。
まるで闇の中で何かが息を潜めているかのようだ。
レイは何か察知したのか、三人に足を止めるように静かにハンドサインを送る。
「「「?」」」
三人は事態が飲みこめないままレイの指示に従う。
レイは黒いジャケットをなびかせながら、悠然とした態度でゆっくり電柱に向かって歩を進める。
静か過ぎるがゆえに、乾いた革靴の音がよく響く。
レイが電柱の前まで来た時だ。
路地裏を覆っていた闇がとつじょ晴れ、街の明かりが路地裏に差しこむ。
キルスティンは目をこすり、驚いたように周囲を伺う。
キルスティン「気のせい? 急に明るくなったような……」
霧崎「やっぱ、そーっすよね」
黒上「二人もか」
三人は何が起きたのか分からず、路地裏の真ん中で呆然と立ち尽くす。
レイは電柱の影にしゃがみ、何やら細い毛のようなものを摘まみ上げる。
レイ「逃げたか。でも、これで敵に近づいた」
レイはそう言うと、腰を上げ、冷たい微笑を浮かべつつ、一本の細長い髪の毛を摘まみ上げながら眺めた。
第22話「これで敵に近づいた」完
第23話「フルスコア」
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