「バカ論」紹介 読書日記vol.65
読書日記vol.65 「バカ論」
今回はビートたけしさん著「バカ論」の紹介です。
少し古い本ですが、(2017年発刊)
西九条の本屋の古本コーナーで出会った一冊です。
著者が思う「バカ」を題材に面白おかしく
著者の「仕事観」「人生観」に触れることができ
普段、テレビで見る著者とは違ったイメージの、
教養の深い部分が詰まっていてカッコいい!
やっぱり上手くいってる人は学び続けているな!というのも感じることができる一冊でした!
是非おすすめです!
以下「バカ論」より、個人的に響いた部分を抜粋・感想を書いていきます。
参考にしていただけるとうれしいです。
多数決は正しいの?
百人中九十九人が「これだ!」と言っても、
「ちょっと違うんじゃねえか」というのが一人でも必要で、
芸人と言うのはその一人になる覚悟が問われる。
でも、九十九人の馬鹿がいたら、一人の正しい奴もダメになるのが民主主義であって、ポピュリズムというのは、民主主義のダメなところが凝縮されているとも言える。
昔からよく言っているけど、
多数決で決まることをあまり信用しなくてもいい。
むしろ「お前はバカだ」といわれても、九十九人の方ではなく、
残りの一人になる勇気が必要。
トランプ政権や北朝鮮など世界の情勢についての見解を述べてくれています。(2017年発刊)
いろんなところで言われてはいますが、
民主主義も万能ではないし、そろそろ限界を迎えているのではないか?と言うお話。
グローバル化も進み、どんどん多様化が認められていく中で、
「多数派」の意見が正しい、という民主主義は時代にあっているのか?
という感じの話です。
この辺の話は難しいですが、歴史をみても
独裁→民主主義 というのはグルグル回っている。。
人間をまとめる万能な政治システムなんてあり得ない。
いつの時代も、独裁か、民主主義か、というところを、らせん階段のようにグルグル回っているだけなんだ。
「多数決」のみを信用するのではなく、
一人一人が自分の頭で考えていく必要がありそうですね、
そのためには学ぶことが必要。。
政治システムの話などは「遅いインターネット」が個人的に勉強になりました!
昔の人と今の人、どっちがすごい?
プロ野球で言えば、
今の野球選手と、長嶋さんや王さんを比べちゃいけないってこと。
技術だけで言えば、今の選手や芸人のほうが優れているかもしれない。
だけど、その人が活躍した時代状況が何よりも重要で、その時にいかに周りより飛びぬけていたかが大事。
技術や、知識なども、歴史を積み重ねるほどに段々レベルが上がっていきますよね。
「長嶋さん」「王さん」がいたから、今の選手たちの技術が向上してきた、とも言えます。
昔と今の人を「技術」のみの物差しで計ってもあまり意味は無くって、
その人のおかれた環境、時代背景や、
いかに「少数派」に所属していながら「価値」を生み出した人なのか?
そういった要素も踏まえて人を見る必要がある。
役者にしても、上手いか下手かという評価は時代によって変わってくる。
___時代や技術の変化によって求められる演技は違ってくる。
___つまり、技術の進歩に合わせて、芸も変えていかないといけない。
その時代によって、求められるものも変わっていくし、
技術、テクノロジーの進化によってもどんどん重要なものが変わっていく。
その変化にどれだけ対応できるか?求められるものを差し出せるか?という「マーケティング感覚」と「適応力」が大切とも捉えられます。
たとえば、役者さんでいえば
一昔前は「声の大きさ」というのは大切な表現スキルだった。
けど、マイクの技術の発達によって小さな声でもはっきりと拾えるようになり
「大きな声」よりも、より日常的、リアルな表現方法としての声の大きさ、の演技のほうが、見る人に共感を得やすく、求められるようになってきた。
仮に、「大きな声で演技する!」というマインドから抜け出せない役者さんは「使いづらいな」となってしまうわけですね。。
盗む技術
___芸を盗むのは大事なことだと言える。
___芸に特許があるわけじゃない。
周りに「あいつ勉強したんだな」と思わせれば勝ち。
盗んでただ同じような芸をするのではなく、それを自分のものにして、
いかにオリジナルを超えていくか。
超えちゃったら、その時点でもうそいつの芸だから。
シンプルに、上手くいっている人と同じ事をすれば、上手くいく確立は上がる。
だから何を盗むか、というのは、芸人として問われるべき大事なセンス。
____自分が盗むべきものは何か、何を上手いこと取り入れるか____。
とりあえずはそれだけを考えておけばいい。
ただ、その人ごとに置かれた状況や求められるものが少しずつ違ってくるので、
自分は何を求められているのか?どのポジションにいるのか?
こういった感覚も大切といえそうです。
その上で、「何を盗むか?」を考える。
基本的に、アイデアというのは0からではなくて、何かから着想を得て「足し算」や「引き算」で生まれる、といいます。
そういう意味ではほぼ全てのアウトプットは何かから「盗んでいる」ともいえそうですね。
また、そこには「センスが問われる」とありますが、
「センス」は「情報量」ともいえます。
その分野に関して、いかに学んでいるか?というのが「センス」として評価されるわけですね。
学ぶことの大切さを教わりました!
やりたい仕事が見つからない
___はっきり言うと、「やりたい仕事が見つからない」ではなくて、
やりたくてもそれに見合った実力がないだけ。
___「やりたい仕事が見つからない」というのは、実は図々しい考え方なんだね。
「やりたい仕事が見つからない」というのはよく耳にする言葉に思います。。
著者はこれを「図々しい」といいます。
そもそも、本当に「やりたいこと」がないのか?
本当は「やりたい」けど「できない」のではないか?
「できない」と思っている時点でそりゃ「できない」わけですが、
成功している人は周りの人が「できない」といったことでも
自分だけは「できる」と考えて諦めずにやり続けた人だと感じます。
著者は、もともと野球選手や学者を目指していたそうですが、
挑戦した結果、挫折し、「たまたま行き着いた先が漫才師」だったといいます。
これは「やりたいこと」ではなく、「できること」だったわけですね。
「やりたいこと」に挑戦して努力を続けた結果、
培ったスキルや「人間観」「人生観」などによって、
「できること」が増えていき、そこにマーケットがあった!とも捉えられます。
お前はそこにいるじゃねえか
「我思うゆえに我あり」なんて言った哲学者もいたけど、酔っ払って吐いた言葉としか思えない。
「自分探しを」とか言う奴には、ひとことで済む。
「お前はそこにいるじゃねえか」
確かに・・・!
これは笑いました(笑)
東南アジアやインドなんかをバックパック背負って、
「自分を探すために、いろいろ世界を見て回りたい」って、
それは”観光”と言うんだよ。
「自分探し」ってよく耳にしますね。。
「自分を知るのが一番難しい」ともいいますが、
外に出て行って”観光”したところで知れるはずもなく、
自分探しは、自分との対話でしか見つからない、とも言えそうです。
旅行いくときとかに「自分探し」とか言いたくなる気持ちもすごくわかりますが
結局のところ
つまらない自己肯定でしかない
と著者は切り捨てます。
孤独死が怖いという人へ
____大体、孤独じゃない死なんてあるのか。
そもそも人間なんてのは、ひとりで生まれて、ひとりで死ぬものだろう。
____孤独じゃない死は”心中”ぐらい。
____逆に、みんなに応援されて死にたい奴なんかいるのか。
励まされて死んでいきたいなんて奴がどこにいるんだ。
「おじいちゃん頑張って、早く死んで!」
「よっ、待ってました!」
なんて声を掛けられたら、
「うるせえな」
っていつまで経っても死ねないよ。
確かに・・・!笑
このまま漫才のネタになりそうです。笑
面白おかしく書かれていますが、何か納得させられます。
物事を冷静に、俯瞰して捉えたうえで、それを笑いのネタにしちゃう表現力がすごいな~と感じます!
テレビ不遇の時代
____それまでは「お客さん」だった人たちが、いつの間にかみんな「批評家」になっちゃった。
____それがどんどん歪んでいくと、もはやクレーマーと変わらない。
____そんな奴らに昔からおいらが言ってきたのは、一言だけ。
「じゃあ、お前がやってみろ」
「テレビがおもしろくなくなった」という意見に対しての言葉です。
著者自身も、色々な社会の変化から「テレビは面白いことやりにくくなった」と感じているそうです。
テレビはそれまでのような”神器”じゃなくて、茶の間の道具のひとつになった。
____かつて雲の上の人だと思っていたのが、どんどん身近な存在になっていく。
___「ひょっとしたら自分も同じことをできるんじゃないか」なんて思い始めるようになってきたんじゃないかな。それはもちろん大きな誤解なんだけど、そういう意識の変化は間違いなくあると思う。
テレビが世間に浸透するにつれて、番組や出演者に対するリスペクトが薄らいでしまっているんですかね・・・
「じゃあお前がやってみろ」といわれてはじめて、芸人や役者さんの凄さに気づけます。。
でも、「つまらない」と言っている奴に、
「じゃあ、枠を提供するからテレビで何かやってみな」と言っても、
おそらくほとんどが何もできない。
ユーチューバーとは売っている商品もクオリティも、何から何まで根本的に違うんだ。
最近は人気名ユーチューバーも沢山いますが、
そんな人たちも「芸人は凄い」とよく言います。
プロとして積み重ねてきたスキルや場数、クオリティが違いすぎる、といいます。
「テレビがおもしろくない」という問題は、
演者の問題ではなく、「視聴者側」の問題ともいえるかもしれません。。
視聴者や社会からの「縛り」によってどんどん自由が利かなくなってしまっている。。
贅沢病
スマホによって「時制」がどんどん失われていった。
____リアルタイムのものに夢中になる、真剣になる、というのがどんどんなくなってきた。
昔は、おにぎり一個でもありがたくいただいていたのに、
それだけだと物足りなりたくって、味噌汁やお新香を求め始める。
____本来ならば、生まれて飯を食って、仕事してくたばれば、それで十分なのに、どんどん余計なものが増えてきた。
それが豊かになるということなのかもしれないけど、
行き過ぎちゃうと本質が失われて、余計なものだらけになる。
現代は「余計なもの」が増えすぎて、
求めるばかりで本質を見失ってしまう。。
とても深い文章に感じました。。
「何がしたいか」「何のために」本質を考えることが必要ですね・・・!
その上で「感謝」や「敬意」を持つこと。
これが欠けているよ、といわれている気持ちになりました。
まとめ
普段、画面の中では突拍子もないことをやっている著者の言葉だからこそ響く部分もありました!
小難しく書いてきましたが、本書はとても読み易くてお勧めの一冊です!
是非お勧め!
参考にしていただけるとうれしいです!
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