【仕事論のウソ】仕事をゲーム化する5つの要素
【大きな嘘の木の下で】著:田中修治【読書感想】
この記事は「大きな嘘の木の下で」読書感想の2部目となります。
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仕事論のウソ
「仕事」と「労働」と「遊び」の境界線
「仕事」と「労働」の違い、分かりますか??
「仕事」とは、誰かの願い(真のニーズ)を叶えるために、
自分ができる限りの価値を提供することで、
「労働」とは、身体を使って働くこと、特に、収入を得る目的で、
体や知能を使って働くことを指す。
これだけではピンとこないですよね。。
そもそも、「仕事」という言葉の定義は、人それぞれであって明確な境界線が存在しない。。
しかし、著者の考えでは
よく「仕事がつまらない」と言っている人を見かけるが、
その場合の「仕事」とは実は「労働」だ。
「プライベートと仕事を分けたい」「オン・オフをきっちりしたい」と言う人もいる。
そういう人がやっている「仕事」も実は、ただの「労働」なのだ。
というように、”やらされ感”でやっているのか、
”自ら価値を提供”しているのかによって「仕事」と「労働」を区別しています。
近年、様々なテクノロジーや技術の進化によって、「労働」は本来必要がなくなっている。
ただの”作業”は機械やAIに代替されるようになっていく。。
これはいろんなとこで言われてますよね。。
では、代替されないものは何か?というと、
___そのうち、コンビニやメガネ屋の中でも、労働をするような人はいなくなっていくだろう。
一方で使命としてやっている人や意味を見いだしてやっている人、
楽しみながらやっているような人は
多くの人から必要とされその価値をさらに高めていく。
___これからは町の世話好きなおばちゃんの価値が上がる時代がやってくるかもしれない。
お客さんが「そのおばちゃんに会いたいから買い物に行く」ということが起こるようになるのだ。
”やらされ感”ではなく、”使命感”や”楽しみながら”やっている。
それが人に伝われば、それ自体が”付加価値”となり、
お客さんの消費の理由になっていく・・!
だからこそ「労働だ」と思うような仕事はさっさと辞めて、
自分の遊びとか、使命とか、何か意味のあることにもっと集中して、
一人でも多くの人から必要とされるような存在にならなくてはいけない。
商品の機能や価格での差別化は難しくなってきており、
それよりもその商品に携わる”人の魅力”に価値を見いだされるような時代になってきている・・・!
「嫌々やらされ感」では”人の魅力”は発揮されない。
それどころか、いずれ機械やAIに負けていく。。
それよりも、「好き」「使命感」
これを持ってできることを突き詰めていくことだけが、
”人の魅力”によって多くの人に必要とされ、価値を生みだすようになる!
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