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「うっかり」は身体本位の行動?

「うっかりやってしまう」行為についてふと思ったこと。

うっかりは無意識の行為

つい、やってしまった!って行為って、意識はしてないじゃないですか。むしろ意識して、注意深く確認していれば避けられた行為だからこその「うっかり」なんですよね。

でも、SNSで誤爆したりゲームで致命的なミスをしたり、果ては仕事でもやらかしてしまう…なんてことがあります。

うっかりは意識の気持ちを考えない

変な言い方ですが、無意識のうっかりはあくまで身体が、普段からやっている行為・かつ危険ではない行為だから平然とやってのけるのかなって。
命に別状あるうっかりは…無いとは言えませんが(事故などはうっかりの油断に拠るところも多いですし)、でも、うっかりをしても死なないのが大半かなーって。だから逆に周囲も、それぐらいのことでって思うし、場合によっては本人も、同じことを何度も繰り返したりしますよね。

でも、それはあくまで身体に危険が及ばないだけなので、心はそりゃあミスに大号泣大激怒ですよって。同じことを繰り返す人ですら、その瞬間は焦るでしょ。

キャラ化ではないですが、身体くんは意識ちゃんの気持ちを考えずに行動している…みたいな。ゆえに、うっかりだと気づいた時、意識ちゃんがそれを知った時、ショックとなるわけですね。

意識ちゃんは身体くんの勝手を許している?

となると気になるのは、「意識していればちゃんとできた」という言い訳というかなんというかな部分。なぜその瞬間はうっかり無意識になるのか。なぜ意識ちゃんは身体君の勝手を許してしまうのか。

別に医学的とか科学的とかでどうこうって考えるつもりはないのですが、この辺、身体本位の生物なのかなあ。みたいな。人間も結局本能重視というか。

何度もうっかりする人は「本当にミスをしない気があるのか!?」「本当はどうでもいいんじゃないか!?」って怒られることすらあるじゃないですか。それでもまた繰り返すって、反省しているかどうかの問題以前にあるんじゃないかなーと思ったり。意識ちゃんが身体くんを制御できない…とか。

ぼーっとしてしまうのは疲れていたりストレスだったりという話も聞きますが、そんな中でも、重要なことであればちゃんとやることもあるわけで。ただ重要なことの判断に個人差があるのは、疲労が軽いからちゃんとできるという可能性がある一方、意識が疲れすぎてもうやらなくてもいいやーと諦めてうっかり任せにする説もありそうな。


まとまりも減ったくれもないけど、脳と身体の不思議と言ってしまうには、悲劇のようであり喜劇のようであり。そんな話でした。

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