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「死」について真正面から考えてみたいときに読む五冊の本

「死」について思いをめぐらせることは、決して悪いことではない。

この世界において、「絶対」と言い切れることはほとんどない。唯一あるとするなら、人は誰しも最後は死ぬ、そのことだけは絶対だろう。

今日より若い日はない」との至言に集約されるように、ぼくらは産まれ落ちた瞬間から確実に一歩づつ、死に向かっている。そのことを誰も否定できない。砂時計が落ち切る前に、ぼくらは生になんらかの意味を見出し、一度きりの人生をまっとうしなければならない。

かの有名な、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチの最後のポイントはまさしく「死」にあった。

自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。

「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳

「生」にはデフォルトで分かちがたく「死」が刻み込まれているからこそ、「今日」を信念を持って生きることができる。そんなメッセージだとぼくは受け取っている。

だから、『ノルウェイの森』にあるあの一節ーー「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」を必ずしも悲嘆しながら受け取る必要はないのではないか。

モリー先生との火曜日(ミッチ・アルボム)

まず初めに紹介したいのは、先ほど読み終わったばかりの、こちらの一冊『モリー先生との火曜日』だ。20年以上も前に刊行され、世界中で1,600万部以上も読み継がれているという。

スポーツライターとして成功し、何不自由のない生活を過ごしていた、筆者のミッチはある日、テレビ画面にかつての恩師の姿を発見する。ALS(筋萎縮性側索硬化症)に冒され姿も変わり果てた恩師=モリーは余命が宣告され、死のカウントダウンの中を生きていた。

大学を卒業してから恩師との交流は絶えていたが、彼はすぐさま恩師が療養するボストンへ向かう。大学卒業以来の邂逅を果たしたふたりは、モリーの最期のときまで対話をつづけ、その内容を出版するというプロジェクトに奔走することになる。

ぼくがこの本を知るきっかけになったのは、『千年の読書: 人生を変える本との出会い』を読んでいた際に見つけた、この一節だった。「もし、申し分なく健康な一日があったとしたら何をしますか?」とミッチは尋ねる。すると、モリーは理想の一日として下記のような日を想像して聞かせる。

「そうだな……朝起きて、体操して、ロールパンと紅茶のおいしい朝食を食べて、水泳に行って、友だちをお昼に呼ぶ。一度に二、三人にして、みんなの家族のことや、問題を話し合いたいな。お互いどれほど大事な存在かを話すんだ。 それから木の繁った庭園に散歩に出かけるかな。その木の色や、鳥を眺め、もうずいぶん目にすることのできなかった自然を体の中に吸収する。 夜はみんなといっしょにレストランへ行こう。とびきりのパスタと、鴨と──私は鴨が好物でね。そのあとはダンスだ。そこにいるすてきなパートナー全員と、くたくたになるまで踊る。そしてうちへ帰って眠る。ぐっすりとね。」

ここで描写される一日は、長い人生のなかでハイライトになるような目立ったものでなく、むしろ平凡すぎる一日とさえいえるだろう。けれど、死を目前に控えたモリーが自然とこぼすから、その“何気なさ”にこそ“尊さ”は内包されているのだと教えてくれる。

ひさしぶりの邂逅から、息を引き取るその最期の日まで、日を追うごとにモリーは衰弱し続けていく。その過程で、振り絞るようにモリーが語る「生きる意味、人生で本当に大切なこと、誰かを愛すること、受け取るよりも与えること、そして、与えることは生きること(Giving is Living)」。

この、Giveの視点は最近読んだ『世界は贈与でできている』が映画『ペイフォワード』に焦点を当てながら詳述していた観点とも通づるものがあると思う。Give(贈与)の循環、つまり他者と共有してはじめて、ひとは内側に幸福感を覚えられる。

これもまさに、映画『INTO THE WILD』で主人公が最期に「幸福が現実となるのはそれを誰かと分かち合ったときだ(Happiness is only real when shared)」と悟ったことと、イコールだろう。

モリーが語る人生訓はどこまでも、紛れがなく、分かりやすい。シンプルすぎる真理に胸が打たれる。

とりわけ、下記の一節には立ち止まった。ハッとした。これから、何度でも立ち返る言葉なんだと思う。

「人生でいちばん大事なことは、愛をどうやって表に出すか、どうやって受け入れるか、その方法を学ぶことだよ」  声がささやくように細くなった。「愛を受け入れる。自分は愛されるに値しないとか、愛を受け入れれば軟弱になると思われがちだけれども、レヴァインという賢人が言ってるよ、『愛は唯一、理性的な行為である』」

『ベンジャミン・バトン』よろしく赤ん坊へと退化していくように、自分一人ではなにもできなくなっていく老人モリー。自分で自分のお尻を拭くことさえできなくなった場面は、ひとつのターニングポイントとして語られる。

赤子の成長は著しい。一歩一歩成長するでなく、ある日を境に「あれ、もうそんなことをできるようになってるんだっけ」「そんな言葉を覚えたのか」と感心する。もし、逆も然りだったら?

モリーの闘病の様子は、そんな疑問をぼくたちに投げかける。老化が段階的に進むのではなく、非連続的にある日突然、ガクッとくるのなら。今を当たり前と思ってはいけない、そう今日より若い日はない現在の瞬間を生きるぼくは、強く刻み込むように思わされる。

イノベーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ(クレイトン・M・クリステンセン)

続いても、大学教授が後世に残した人生訓。『イノベーションのジレンマ』で知られる経営学の大家、クレイトン・クリステンセンによる『イノベーション・オブ・ライフ』。技術経営の分野で何本もの革新的な論文を発表し、世界で最も影響力のある経営思想家としても殿堂入りしている氏が説く人生論は、ありがちな自己啓発書の枠に収まらない。

ガンと闘病するなか、自身がこれまで経営学の分野で培ってきた精緻な学究的なフレームワークを武器にしつつ、氏の人間性がうかがえるあたたかな眼差しから、人生のイノベーションを考察していく。

人間と企業の同型的アナロジーを駆使し、相関ではなく因果の視点から、人生の原則に迫る。こんなにあたたかくて、丸みを帯びた、理論書があっただろうか。しかも理論の当てはめ先は、企業ではなく人間だ。

「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義(シェリー・ケーガン)

先の二冊は、どちらも自身が病に罹患し、死を目の前に差し出された上に紡ぎされた人生哲学だ。一方、このイェール大学講義録は、哲学・倫理を専門にする研究者・シェリー・ケーガンが「死」を根源的に、緻密に、論理的に思考し尽くした本だといえる。

二元論と物理主義、魂の取り扱い、人格の同一性を思考を進めるための立脚点に、哲学が向き合える境界線で逃げずにとりあえずの答えを出す。絶対の正解はないからこそ、自分自身の思想・価値体系と向き合う必要がある読書。通読にはそれなりの覚悟を要するが、正解のない暫定的な物事を根底から考える方法を教えてくれる。

死ぬ瞬間の5つの後悔(ブロニー・ウェア)

この本は、ぼくが鬱で絶望の淵にあったときに、環境を変えてみよう、暖かい場所に行こう、とプーケットへ行ったときにプールサイドで読んだ一冊だ。

著者のブロニー・ウェアが介護士として、幾人もの終末患者を看取ることで得た真理を、具体的な患者とのエピソードを通じて語っていく。

・自分に正直に生きればよかった
・働きすぎなければよかった
・思い切って自分の気持ちを伝えればよかった
・友人と連絡を取り続ければよかった
・幸せを諦めなければよかった

上記で凝縮された生きることのエッセンスは、どれもしごくシンプルで本質的なものだ。だれもが当たり前の価値観として持つからこそ、蔑ろにされるものだともいえるかもしれない。お金や物質に生きる上でのレンズを曇らされてはいないか。十全に健康を享受できるうちに大切にしなければいけないものはなにか。

改めて、モリーの「人生でいちばん大事なことは、愛をどうやって表に出すか、どうやって受け入れるか、その方法を学ぶことだよ」との言葉が頭をかすめる。

僕の生きる道(橋部 敦子)

この本は20年ほど前にフジテレビで放送された同名ドラマのノベライズだ。当時、中学一年生くらいの年齢だったぼくはこのドラマに痛く感動し、まだ読書の習慣もなかったのに書店に駆け込んで、このノベライズ本を買い求めた。買ってすぐに部屋にこもると、一度も止まることなく、夜通し最後まで読み更けた思い出がある。

ひとは身近な人の死を体験してはじめて、自らの死をリアルに思い浮かべたりするのだろう。だけど、ぼくが初めてありありと「死ぬこと」そして「いきる」ことについて思いを巡らせたこのはこの物語がきっかけだった。

しごく真面目に人生を歩んできた、男性教諭はある日突然、胃がんで余命一年を宣告される。生きることを放棄したくなり、生活は荒れたて、自死までよぎる。けれど、死を目前にしてから最愛の人に出会うことで、まだ有る生に向き合うようになる。

ある意味で、この物語は世界中で毎日のように、だれかが無慈悲にも経験する“平凡”な話なのかもしれない。束で人々の人生を括ればありきたりな話も、個別の人生には絶対的な固有性がある。その覚悟の一つ一つはかけがえのない、決して代替できない、その人だけのストーリーであるはずだ。

✳︎

今回紹介した五冊の本を読んでみて、思い起こされることは、シンプルでいて重要なことだ。「生があるから、死がある」「感謝や愛は、生あるうちに言葉にし、開示するべき」「幸福は目の前にある」ーー。

生きることは死に近づくこと。ぼくらは老いていくことと引き換えに、記憶や感情を手にしていく。記憶や感情に名前をつけたり、感情のラベルを貼ったりする。けれど、一連の体験は自己完結で終わらない。必ず周囲にいつか訪れる死を共有する他者がいる。他者と過ごす時間と空間から生まれる関係性。関係性は死なない。そこに漂う、刻み込まれる、一瞬の連続体はぼくらの身体や精神とは関係のないことで、いつまでも生き続ける。


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