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躁鬱に立ち向かうため、ポレポレに生きる

ある日、目に見えない、感じられない交通事故に遭うようなもの

ある日、突然「鬱症状」に見舞われ、ベッドから起き上がれなくなった。心療内科をいくつかハシゴし、Netflixをみるだけの廃人となり、OYOを転々とした。時間は過ぎていった。最後は、なぜか西川口で一人暮らしし、たまに河原を散歩するだけの日々を過ごしていた。そして、なぜか今はケニアにいて、読書とポーカーをする毎日を送っている。

世界がいきなり反転し、暗黒の底へ落ちる

はじめは何が起きたのか自分でもよく分かっていなかった。それほど大ごとだとも思わなかった。一時的に不調なのだと。だけど、そんな状態が来る日も来る日も続いた。日に日に「もしかしたら、これは自分が思っている以上に重大な事態なのかもしれないな」という嫌な予感が募っていった。

周りもすごく心配して、当時同棲していた彼女が「とりあえず病院に行こう」と何度もぼくに勧めた。だけど、まさか自分に限って「鬱かもしれない」なんてあり得ないと思っていたから、「大げさ」だよといなしていた。けれど、ベッドから起き上がれない、一日中なにをする気は一向に改善しない。むしろ、どんどん気持ちが塞がってきて、ネガティビティ・バイアスは連鎖的に増大していき、希死念慮きしねんりょにも似た最悪の状態にまで陥った(一度だけ、タオルに首をくくりつけそうになっていたことがあって、あのときが一番底に居たのではないかと思う)。

いよいよ会社のメンバーも心配して、さすがに病院に行かざるを得ないところまで追い込まれた。会社のメンバーに付き添ってもらい、とりあえず会社の近くにあった青山の心療内科で診てもらうことに。すると、重度の鬱の可能性があるとの診断が下された。そこから、薬漬けの日々が始まるのだけれど、ぼくの精神状態は一向に上向かなかった。

当時、会社としても個人としてもたくさんの仕事を抱えていた。会社の仕事に関しては、ぼく以外のメンバーでなんとか引き続き継続できるとして、個人で引き受けていたブックライティングの仕事が膨大に山積さんせきしていた。これはもうどうしようもない。腹を括って、各関係先に事情を説明するとともに、謝罪の連絡を入れた。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになったと同時に、自分が情けなくなった。けれど、心身ともにガス欠を起こしていたのは間違いがなく、どう転んでも仕事などできる状態ではなかったと思う。

会社のメンバーのサポートもあり、ぼくは当面の間、一切の業務から離れることになった。このとき、何よりもぼくの健康を第一優先に考えてくれ、かなり業務量には無理があったと思うが、すべてを一手に引き受けてくれた会社のメンバーには頭が上がらない。

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そう。世界はあまりにも急速に反転した。兆候らしい兆候もなく。いま考えてみても、怖いものだなあと思う。たとえるなら、目に見えないし、感覚もない交通事故にあったようなものだ。まあでも、インフルエンザにしてもコロナにしても、ガンにしても見えるものではないし、身体が異常を検知したときには、すでに罹患りかんしているのが普通だろう。

鬱だって一緒だ。花粉症なんかは、体内に蓄積された花粉が一定量の閾値いきちに達すると発症するなんて言われるけれど、いずれにしても格ゲーのライフゲージのように、ぼくらが目に見えるゲージはない。ヤツらは日常に絶えず潜んでいるにしても、ぼくらが認識できる時点では、「突然やってきた」と感じるだけなのだろう。

だから、仮にこの文章を読んでくれている人がいたとしたら、言っておきたい。「鬱はだれの元にもやってくる可能性がある。もちろんあなたにも」ーー。ぼくだって、まさか自分が「鬱」になるなんて、これっぽちも思いもしなかった。

もう二度とあの頃には戻れないのではないか、という絶望

人生のなかで「鬱」なんてなったことがないし、自分にかぎってなるわけないだろうと思っていた。だからまずは、自分が病気であることを認めることがこの病と向き合うスタート地点になる。往々にして、初期症状は自分では気づかない(認めたくない)ものだ。だから身近な知人、友人、彼女や家族の心配の声は的を射ていることが多い。

なぜ人々は発狂せず、正気を保っていられるのだろうか

一番、底にいたときは「死に方」みたいな物騒なことをグーグルで検索し続けて、一日が終わるのを繰り返していた。このときに必死でぼくのことを助けようとしてくれていた彼女や会社のメンバーには、いま思えば感謝の念が絶えない。だけれど、許してほしい。この底にいたときのぼくは、自分はおろか他者をおもんばかる気持ちの一切が遠く彼方に葬り去られていた。理性や感情のセンサーが文字通りゼロになっていたのだ。

鬱になると、まず実践を推奨されるいつかのプロトコルがある。規則正しい生活をおくる、日光を浴びる、適度な運動をする等。もちろん、多少気持ちが上向いてきてからは、鬱に少しでも効き目があるという方法は試した。でも、一向に事態は改善されない。通院するたびに、処方される薬は重さが増したり、量が増えたりする。自分でも心配になってくる。周囲の勧めもあって、青山から中目黒のクリニックに変えてみることにした。中目黒のクリニックの先生は打って変わって、薬ではなく生活習慣の改善に重きをタイプの方で、治療の方針が根本から前回の先生とは異なった。

ひとくちに「鬱」とはいっても、病状や原因は千差万別だろうと思う。自分の場合は仕事でのストレスは一切なかったし、プライベートにおける人間関係もすべて良好だった。特定の「これ」と呼べる原因がまったくといっていいほど思いつかない。あくまでも予想に過ぎないけれど、アスリートがある日、自律神経失調症に悩まされているのをみると、もしかしたらそれに近いのではないかと思ったりする。燃え尽き症候群の変種というか。

上記のように、ぼくには「鬱」の原因に何一つ心当たりがなかった。仕事もプライベートも充足しており、むしろ鬱の直前期までは多幸感に包まれていた。だから、今となってはこんな仮説を持っている。鬱の直前の数ヶ月の自分はむしろ「躁」期にあったのではないか、と?

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前述したように、いきなりの鬱に襲われるまで、ぼくは人生のなかでも絶好調な期間を過ごしていた。多幸感に包まれていたし、いつもの数倍増しで思考のキレも感じていた。分からないけれど、エンドルフィンが異常値放出されていたのかもしれない。その反動として、精神的な原因ではなく、身体の方から鬱が誘発されたのかもしれない。

人間というのは不思議なもので、自分の意識の及ばぬ次元で、言うなればホーリスティックなバイオリズムを刻んでいるのかもしれないのだ。

毎日、感じていた一番の不安は、何も心配がない元気なあの頃の自分に、もう二度と戻れないのかもしれない絶望だ。

むしろなぜ、他の人々は、社会は、発狂せずにいられるのだろうか。どうやって正気を保っているのか。不思議でならなかった。カーテンの閉じ切った部屋で、暗闇の中、何日もベッドの中で過ごした。「このままじゃまずい」と思い、動き出しても、駅に向かう途中で座り込んでしまう。何をしようとしていたのか、どこに行こうとしていたのかも分からない。気づけば3時間くらい経っていて、結局は家に戻る。こうやって一進一退の日々が何日も続いた。

躁状態時の、無双感と多幸感

そのときどきの“自分の状態”は、後から振り返ったり、比較したりすることで把握できる。おそらく初めて、訪れた“躁状態”の自分を、ぼくは一種の天啓のように楽しんでいた。身を包む万能感と無双感、高揚感と多幸感。明らかに思考にドライブがかかり、なにかを考えるにしても、その質量と回転スピードが通常運転の何倍増しにもなっていた。

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ある一つの作業に集中し、効率的に物事を進めているその最中、同時に今日の予定や来週以降の仕事の進め方も同時に考えている。感覚が複数化している、とでも言えばいいのか。ジムでトレーニングなんかをしていると、次から次へとアイデアが横溢おういつしてくる。

この状態にあるとき、徹底的に生産性に根ざしたライフスタイルを突き詰めるようになる。朝の4〜5時には活動を開始し、ハードなジムでのワークアウト、読書、瞑想などの午前中の習慣系タスクをテキパキとこなし、公園で昼寝し、あとは倒れるまで仕事する。状態としては、ランニングハイに近い。

こうした習慣は連動することで、エンドルフィンを絶えず放出させ、集中力を増し、バーンアウトするまで燃料を急速に燃やしていく。いつもより、細部に目が行くようになる。躁状態のど真ん中にいたときに書いた「朝5時起きの思考法ーー"精神と思考のゾーン”に入り、”自分だけの王国”を建立する」というnoteがある。まずタイトル、そして全体の筆致から、そのハイ加減がよく分かる。

この文章を読むと、当時ぼくがどんな習慣を立てて毎日を送っていたのか、その暮らしぶりにくわえて、思考のリズムや軌跡もよくわかる。文章に残しておくことは、改めて尊いと思う。

「爆早起き」×「激筋トレ」×「ふんわりマインドフルネス」。それぞれが掛け算として連動するから、思考と精神が鋭敏になる。

たとえば、筋トレをしているとき。ベンチプレスを上げれば、胸や腕、筋肉の部位単位で刺激に感覚が向くことはあるでしょう。ただ、上記の三要素が掛け算のゾーンに入っていると、それこそ筋肉単位ではなく、一本一本の筋肉繊維にまで感覚が及ぶのです。

マインドフルネスのトレーニングでは、「食」に関するレクチャーがありました。目の前の料理や食材に五感を働かせることはもちろん、一つ一つの素材が誰の手によって育てられ、どんなプロセス・流通を経て、イマココに至ったのか。あるいは、ウェイターやシェフは連続する瞬間のなかで、どのようにこの料理をここまで運んだのか。途方もない細部にまで、マインドフルネスを働かせるのです。

そのため、限界ギリギリのウェイトと戦いながらも、いま側についてくれているパーソナルトレーナーの表情や動き、気分や感情にまで絶えず意識が向かっています。その意味で、マインドフルネスを突き詰めていくと、精神的・物理的な視野が広がっていくのかもしれません。ありていにいって、「人に優しくなれる」気がします。

微に入り細に入り意識が張り巡らされているので、こうしたことに絶えず思いを思いを巡らせたりしている。

ちなみに、周囲で躁鬱病の人がいないと、この病気のイメージすらよく分からないと思う。ぼくの大好きなドラマ『モダン・ラブ』の第三話「ありのままの私を受け入れて」の主題がまさに双極性障害で、アン・ハサウェイ演じるレキシーはものすごく優秀な弁護士なんだけれど、躁鬱病に悩まされる人生を送り続けてきた。躁状態のレキシーはスーパーマンのように仕事も最高のクオリティでこなすし、恋愛でもすぐさま男たちを夢中にさせる。

だけれど、鬱になった途端、(まさにぼくと同じなんだけれど)ベッドから一歩も動けなくなってしまう。だから、結局は仕事も恋愛も台無しになる。すると、絶望的な自己嫌悪に苛まれる。こうした両サイドの生活が交互に訪れ、彼女の心を蝕んでいこうとするけれど、彼女はどうにか希望の光を見つける。そんな話だ。このエピソードはたまたま躁鬱病の主人公にスポットライトが当たっているけれど、『モダン・ラブ』はオムニバス形式なので、どのエピソードを観てもらっても最高だ。

躁と鬱を手なずけ、ポレポレに生きる

大学の友人があるとき、レッドブルのことを「体力の消費者金融」と秀逸に例えたことがあった。いま考えてみれば、躁も阿漕あこぎなもので、確実にヤツらは取り立てにやってくる。ぼくが「世界はいきなり暗転した」と表現した通り、いきなり舞台の幕は下ろされ、光は消え、闇がぼくを食い尽くそうとしてくる。

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さて、「躁」になったのも初めてであれば、「鬱」になるのも初めての事態である。どうやって対処したらいいのか、からきし分からない。連れていかれた心療内科で言われるがまま、処方された薬を服用したり、改善を求められた生活習慣を守っても、症状は一向によくならない。焦る。不安のループが渦を巻く。諦めの念が日に日に増していく。

そう、ぼくら人間はどこまでもままならない。身体と精神をハックできるなんて思うこと自体がおこがましい。自惚うぬぼれに過ぎなかったのだ。一度きりの人生には、常に「初めてのこと」が付きまとう。死ぬまでだ。「死」はメタファーでもなんでもなく、全員の人生に最後にやってくる「初めてのこと」の最たるものだろう。

で、結論からいうと、西川口からひょんなきっかけでケニアにやってきたぼくは、鬱から脱した。と、たぶん言える程度には回復することができた。けど、鬱がよく言われるように「心の風邪」なのだとしたら、いつまで経っても再発する心配はある。たしかに、元気になった今も、ヤツの影をあちらこちらに感じる。

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だから、最近のぼくはちょびっとだけ怯えている。あのときほどの躁ではないけれど、明らかにここのところ調子がいいからだ。思考のスピードが上がり、習慣や作業を機械的に突き詰めようとする悪い癖が顔を出し始めている。いつもに増して、多幸感もある。これが初めての経験であれば、このハッピーな状態を向上させたり、維持させることに努めるだろう。けれど、一度、コインには裏側があることを知っている今のぼくはその代償に恐れをなしている。

躁が振り切れて閾値に達し、鬱に反転しないよう、調整をかけてやる必要がある。だけれど、その方法も探り探りである。なにがトリガーになるのかさえ分からないから、ジムでのトレーニングの頻度や負荷を減らしてあげたり、日頃から睡眠時間には気を配ったりする。で、ぼくの場合は睡眠がかなりバロメーターになる気がしている。絶好調のときは、睡眠時間が顕著に短くなって、朝の4時頃には目が覚めるようになる。

昔であれば、4時だろうが5時だろうが、起きた瞬間に飛び起きて、全力で活動を開始していた。いまは、冷静に昨日からの睡眠時間を確認してから、不足していればもう一度睡眠に入ろうとするストッパーを意識している。

「無理をしないこと」これに尽きる。無理をして疾走している自分を見つけたら、状態のバイオリズムを見つめるもう一人の自分が止めてあげること。人は大なり小なり、鬱と躁をモードとして内に秘めているのではないか。であるなら、そのバランスを自分なりに手なずけてやる必要がある。

ぼくが今生きる上で大切にしているキーワードは「ポレポレ」(スワヒリ語で「ゆっくり、ゆっくり」とか「ぼちぼち行こう」といったニュアンス)だ。いまこの瞬間の自分は、連続的に明日や来年の自分とつながっていることを忘れない。身体と精神は不可分なこと、生体的なバイオリズムを自分がコントロールでいるとおごらないこと。その辺りのことを意識しながら、ポレポレに生きようとしている。

日本で初めて、躁状態から鬱状態に転落し、煩悶の時間を過ごし、なぜかケニアで暮らすようになった詳しい顛末は「世界を相対化する技術」の後半部分に詳述してある(興味を持ってくださった方は、こちらのnoteの後半をお読みください)。

ぼくは長らく鬱に苦しんでいた。すべての意欲が失せ、生きる気もなくした。

比喩的にいえば、あのときぼくは「死んだ」。

けれど、「死んだ」からこそ、マズローがいう欲求5段階説を全部飛び越え、いま自分の周りにいる人の幸福へ目が向くようになった。無我になり、新しい世界の見方ができるようになった。

もしもいま、現在進行形で鬱に苦しんでいる人に、なにかぼくからアドバイスできることがあるとすれば、「とにかく時間が解決してくれると信じること」くらいしか思い浮かばない。申し訳ないけれど。鬱ほど個別性の高い病気もそうそうないと思うから、汎用性の高い解決策がなかなかないことを、ぼく自身がよーく分かっている。

だから、アドバイスなんてものすら本来はないはずだ。一生懸命になる必要すらないと思う。まずは生き続けること、時間がすべてを癒してくれるはずだから。

ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。