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原書のすゝめ:#10 La fille de Brooklyn

Antibes, mercredi 31 août 2016.
À trois semaines de notre mariage, ce long week-end s’annonçait comme une parenthèse précieuse, un moment d’intimité retrouvée sous le soreil de fin d’été de la Côte d’Azur.

アンティーブ、2016年8月31日、水曜日。 
結婚式を三週間後に控え、夏の終わりのコートダジュールで過ごすこの連休が貴重な息抜きになるだろう、太陽の下で水入らずのひとときになるだろうと楽しみにしていた。

『ブルックリンの少女』吉田恒雄訳


散文詩のような書き出しが、映画のオープニングシーンを見ているような錯覚を起こさせる。
時々、そんな映画のような作品に出会うことがある。

邦訳をしてしまうと、原文の印象が伝わりづらくなることがあるのは仕方のない話である。そもそも言語が異なるのだから。

しかし、言語に興味がある人間にとって、これは外国語と日本語の表現の違いを同時に知ることができる格好の機会になると思う。


フランス語は、非常に名詞を好む言語である。
フランス語の読解で難しいのは、単語の「多義性」と「凝集性」にあると私は思っている。

たとえば、冒頭にあるこのフレーズ。

une parenthèse précieuse

Parenthèseは「括弧」や「余談」、「挿入句」、précieuseは「貴重な」という形容詞なのだが、文字どおり「貴重な丸括弧」や「貴重な挿入句」と訳しても全く意味がわからない。邦訳では「貴重な息抜き」となっている。この表現は、とてもわかりやすい。

Parenthèseに「息抜き」という意味がある訳ではないが、日常の「間に入る」時間と捉えて「息抜き」と工夫されたのだと思う。こういう読解には、フランス語よりも日本語の実力が問われる。

フランス語は、英語に比べると単語の数が少ない。では、英語よりも覚える数が少なくてよいかというとそうでもない。なぜなら、単語の数が少ない分だけ1つの単語が表す意味が扇子のように広がるからだ。



もう一つ、フランス語は動詞で表現するところをやたら「名詞化」したがる傾向がある。つまり、名詞に形容詞や過去分詞などをくっつけることで文章を成句に凝縮してしまうのだ。

このフランス語の「多義性」と「凝集性」という特徴については、鷲見洋一氏の『翻訳仏文法』(ちくま学芸文庫)に詳しい。

長らく手に入らなかった本だが、昨年ついに復刊された。興味のある方はぜひ今のうちに手に入れておくことをお勧めする。本書については今後も触れる機会があると思うが、今回は紹介するだけにとどめておく。


さて、ここでもう一度冒頭の文章を見てみると、動詞が一つしかないのに気がつく(太字部分)。原文で感じた私の印象を日本語にしてみた。


Antibes, mercredi 31 août 2016.
À trois semaines de notre mariage, ce long week-end s’annonçait comme une parenthèse précieuse, un moment d’intimité retrouvée sous le soreil de fin d’été de la Côte d’Azur.

アンティーブ、2016年8月末の水曜日
僕らの結婚まであと三月みつき
長い週末は貴重な幕間となろう
それはコートダジュールの晩夏の太陽の下に
見出された水入らずの一時ひととき



散文にしか見えなかった文章が、このように書くと散文詩のように見えてくるのではないだろうか。

名詞は文のリズムや音調を整えるため、韻文のような効果を与える。しかし、同時に意味が抽象的になり、省略された「行間」を読む作業が読み手に託されてしまう。

そのため、名詞句や名詞節のような「長い名詞」が続くと、文意が分かりづらくなる。英語と比較するとフランス語の「凝集性」がよくわかるが、これについてはまた別の作品で語ろうと思う。

さて、ここからは本書の中で使われた単語やフレーズの表現方法に着眼点を置いて読んでみる。
( )内の日本語は邦訳からの引用である。


*Allumer

Sur la terrasse qui s’avançait à flanc de rocher, tu avais allumé des bougies parfumées et des photophores censés éloigner les moustiques, j’avais mis un disque de Charlie Haden.
(岸壁に臨むテラスで、きみは蚊を遠ざけるとかいうアロマキャンドルを点し、ぼくはチャーリー・ヘイデンのCDをかけた。)

Allumerを辞書で引くと、以下のような例文が掲載されている。

 allumer le gaz.    ガスに着火する
 allumer la lampe         電灯を灯す
 allumer la radio           ラジオをつける
 allumer la haine           憎悪を掻き立てる

日本語と使い方が似ているから覚えやすい。
なお、作品中にはこういう表現があった。

Un flamme s’alluma dans les yeux du flic.
(元刑事の目に炎が燃え上がった。)


*Cliché 

英語にも同じ単語があるが、実は使い方が違う。
以前、「ネガ」という意味のつもりで英文を書いたら、イギリス人に首を傾げられた。辞書を確認すると、英語では「常套句」や「ありきたりの筋」という意味で使われるらしい。フランス語にも同じ意味はあるが、本文中のように使われることが多い。

Un cliché montrant trois corps calcinés.
(三つの焼死体の写真だった。)

同じ単語でも、英語とフランス語で使い方が異なる単語には注意が必要だ。


*Avoir des papillons dans le vendre

Marc Caradec sentait des papillons virevolter dans son ventre.
(マルク・カラデックの胸の中を蝶が飛びまわっている。)

直訳すると、dans le ventre 腹の中に papillons 蝶々を avoir 持っている、となる。ここではavoir の代わりにvirevolter 飛び回るという動詞が使われている。

邦訳を否定するつもりはないのだが、avoir des papillons dans le ventreは「(恋愛で)胸がドキドキする」という意味なので、ここでは蝶が飛び回っているというより、「胸が高鳴った」とした方が日本語としては適切な気がする。


*Citron vert

Ton préféré : un Long Island Iced Tea avec beaucoup de glaçons et une rondelle de citron vert.(きみのお好みはロングアイランド・アイスティー、たっぷりの氷とレモン一切れを入れること。)

ロングアイランド・アイスティーには、レモンを入れる。ところが、原文ではcitron vert、すなわちライムとなっている。

このカクテルは、ジン、ウォッカ、ラム、テキーラという4つのスピリッツを使う。ラムとテキーラはどちらもカリブ海諸国の蒸留酒である。

当時の私は幼すぎてほとんど記憶が残っていないが、母が言うには、メキシコではレモンよりライムがよく使われていたということだった。だとすると、このカクテルにライムを入れても不自然ではない。実際にレモンのかわりにライムジュースを使うこともあるらしい。

ここでわざわざレモンとしたのは、通常このカクテルにはレモンを使うという常識からかもしれない。実にどうでもよい話だが、原書でライムだと思っていた味が邦訳でレモン味に変わってしまうと、味の違いに思わず驚いてしまう。


*Partir

C’était le dernier cadeau que lui avait fait sa femme avant de partir.
Avant de mourir.

それは、妻がpartir 去る前に彼(=マルク)に贈ったものだったという文章である。Partir には「出発する」、「立ち去る」という意味がある。

では、マルクは離婚したのかというと、partirにはもうひとつ mourir 死ぬという意味もある。日本語の「逝く」と同じである。ここでは、最初の文に続いて、avant de mourir と説明を加えることで死別であったことを明確にしている。


*Croiser les doigts

Il( =Marc ) croisa les doigts pour que ça ne s’aggrave pas.

Croiser les doigts とは人差し指と中指を交差させて幸運を願う仕草を指すのだが、元刑事が運転中にこのような仕草をするとは考えづらいから、「これ以上事態が悪化しないことを願った」といったところか。


Guillaume Musso ギヨーム・ミュッソの文章は、比較的に読みやすく、文法書や辞書で覚えた単語やフレーズがよく出てくるからフランス語の表現を学ぶのにはちょうどいい。

語学書と睨めっこをするのもよいけれども、原書と見つめあいながらune parenthèse précieuse 
を過ごすのも、たまにはよいのではなかろうか。


<原書のすゝめ>シリーズ(10)

※<原書のすゝめ>シリーズのコンセプトはこちらの記事をご覧ください。


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