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原書のすゝめ:#5 Ashenden

同じ本が手元に2冊ある。
何故こんなことになったのだろう。

事の始まりは、本を買うのにネットショッピングを頼るようになったことにある。現物主義の私は、日々の購買活動において基本的に現物確認を行う。しかし、物が洋書となると本屋で買いたくても目当ての本がなかったり、そもそも品数が少ないため偶然の出会いというのもあまり望めない。

ところが、インターネットだと販売環境が逆転する。圧倒的な数の出会いが用意されており、しかも店頭より価格も安い。同時に、手に取って見れないために、実際のご対面で予想外の展開に陥ることもある。

たとえば、本のサイズである。日本と比べて、欧米の本のサイズは実に様々である。シリーズ物で買ったつもりが、同じ出版社でもサイズが若干異なることがあり、これが本棚に並べた際に案外気になる。読まずに飾ってある場合はなおさらだ。

それから、文字のサイズやフォントにも注意が必要である。読みづらいとページをめくる手が重くなる。

さらに気になるのが、本の状態である。本好きの人であれば、背表紙の角が縒れていたり、表紙が擦れている本は避けたいはずだ。なぜ日本人はカバーをつけて本を読むのか、人に見せられない本なのか、とフランス人に聞かれたことがある。本が汚れないようにするためだと説明しても腑に落ちない様子だった。欧米人は稀覯本でもない限り、本を割とぞんざいに扱う。海外の販売店から届いた本は、長時間の旅ですっかりくたびれた様子をしているのに、日本の書店で頼んだ本は柔らかいプチプチに包まれて赤ん坊のように大切に運ばれてくる。

しかし、そうとわかってはいても欲しい本が店頭になければ仕方がない。取り寄せると、為替レートの変動で店頭価格より高くなる場合もあり、そのうえ送料もかかる。こうして、しだいにネットでの出会いを求めるようになってしまったのだ。


さて、事件は人違いではなく、違う人だと思っていたのに同一人物だった、というものである。

タイトルが違う。表紙のデザインも違う。それなのに同じ本なのだった。2冊ともSomerset Maugham の作品である。1冊は、邦訳で気に入った『Ashenden』という作品で、もう1冊は『Collected Short Stories Volume 3』という短編集である。ところが、後者はすなわちAshendenという人物の話を集めた短編集だったのだ。なんだかややこしいが、つまり、『Ashenden』は長編小説ではなく、これもまたAshendenが登場する短編を集めた本のタイトルだったというわけである。前者がハイネマン版、後者がペンギンブックス版で、両方とも2000年にVintage Classics からそれぞれ新たに出版されたものである。購入サイトの内容紹介には収録されている作品について書かれていなかったので、これが致命傷となった。

実は、この編集についての相違は、岩波文庫の『アシェンデン』のあとがきに書かれていた。そのときは他人事のように読んでしまっていたのが今になって悔やまれる。両者の収録内容が完全に同じではないというところがせめてもの救いだ。

岩波文庫のあとがきを実際に検証できたわけだから、ある意味ミッションコンプリートである。
塞翁が馬、七転び八起き、禍福は糾える縄の如し、人生には常に割り切った態度が大切である。

というわけで、今回の作品はイギリスの文豪Somerset  Maughamの『Ashenden』である。


1.R

It was not till the beginning of September that Ashenden, a writer by profession, who had been abroad at the outbreak of the war, managed to get back to England. He chanced soon after his arrival to go to a party and was there introduced to a middle-aged Colonel whose name he did not catch. He had some talk with him. As he was about to leave this officer came up to him and asked :
‘ I say, I wonder if you’d mind coming to see me. I’d rather like to have a chat with you.’
‘ Certainly,’ said Ashenden. ‘ Whenever you like.’
‘ What about to-morrow at eleven?’
‘ All right.’
‘ I’ll just write down my address. Have you a card on you?’
Ashenden gave him one and on this the Colonel scribbled in pencil the name of a street and the number of a house. When Ashenden walked along next morning to keep his appointment he found himself in a street of rather vulgar red-brick houses in a part of London that had once been fashionable, but was now fallen in the esteem of the house-hunter who wanted a good address.


スマホでは読みづらいほど長い引用になってしまって、恐縮である。
とはいえ、文豪の文章だと思って肩に力が入っておられた方は、それほど難しくないことに驚かれるのではないだろうか。

東大名誉教授の生方昭夫氏が、その著書である『英文精読術』『英文読解術』『英文翻訳術』でモーム作品の味わい方を指南されている。英語好きで完璧な精読を目指している方はぜひ参考にしていただきたい名著である。本当に素晴らしい本だ。

一方、専門家ではない私は、身の丈にあった読み方というものを見つけてみようと思う。もしかすると同じレベルで楽しんでいただける方もおられるかもしれない。

さすがに冒頭部分だけだと背景が分かりづらいので補足すると、作家を生業としている人物が諜報員としてスカウトを受けるという場面である。Rというのは、Ashendenをリクルートに来た諜報部における大佐のコードネームである。

本文において、まず注目したのが、a middle-aged Colonel whose name he did not catchという文章だ。「中年の陸軍大佐の名前が聞き取れなかった」という内容だが、これを英作文で書くように言われたら、案外 whose name he could not catchと書いてしまいそうである。助動詞doとcanのニュアンスの違いについては文法書を参照いただくとして、こういう違いを見つけることにも、原書に触れることの意義が見出せると思う。


次に目を引かれたのは、I’d mind coming や I’d rather like to のようないかにもイギリスらしい丁寧語が使われていることである。会話でもWould you mind 〜? や May I 〜? というフレーズをよく聞く。vulgarという単語も階級社会というお国柄か、アメリカよりもイギリスで頻繁に使われている気がする。

単語についてもう少し見てみると、tomorrow ではなくて to-morrow と綴られている。やや古めかしくて、時代を感じる単語だ。さらに自分だと絶対に思いつかないだろう前置詞、Have you a card on you? の on の使い方。 文法的にはwithでも問題はないとは思うが、自分ではこういう使い方はすぐに思いつかない。

ついでながら、これは個人的な問題だが、英語のaddressはフランス語ではadresseと綴るため、毎回綴り地獄にはまってしまい、大変困っている。

さて、もう少し先を読んでみる。

* * *

The Colonel, who was known in the Intelligence Department, as Ashenden later discovered, by the letter R., rose when he came in and shook hands with him. He was a man somewhat above the middle height, lean, with a yellow, deeply-lined face, thin grey hair and a toothbrush moustache. The thing immediately noticeable about him was the closeness with which his blue eyes were set.

* * *

英語が得意な方なら、必ず気づかれると思う。そう、gray ではなく grey と綴るのがイギリス英語である。イギリス英語とアメリカ英語の違いについてはnoteでも多くの方が記事にしておられるので、英語好きな方にとっては気になるポイントの一つなのだろう。ついでに、英語のblue はフランス語ではbleu と綴る。もはや「お池にはまったどんぐり」の気分である。


もう随分前のことになるが、歴史小説が好きな父が山岡荘八の『織田信長』シリーズを読んでいた時のことである。前日まで『織田信長』の第4巻を読んでいた父が、翌日同じく山岡荘八の『徳川家康』の第5巻を読んでいたので、

「もう織田信長シリーズ読んだの、早いね」
というと、顔も上げずに、

「まだ読んでる」
と答えた。

そして、本を返して背表紙を見た父が一言、

「徳川家康になっとる…」

………。

本を買う前には、いろいろと注意事項がありそうである。


<原書のすゝめ>シリーズ(5)

※<原書のすゝめ>シリーズのコンセプトはこちらの記事をご覧ください。


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