こんにちは。梁です。
いろいろ振り返ると、濃い35年間だなと感じるとともに、
あっという間の35年間でもあるなとも、同時に感じます。
2020年も年末に差し掛かっておりますし、今日は、急激に冷え込んできておりますね。
さて、幼い頃の思い出の続きです。
なぜ、自分という存在が何者なのかを、自問自答することが多かったのか。
たぶんそれは、日本に生まれながら、日本人ではないということを自覚し始めたからだと感じます。
同じ東洋人であるが故なのか、パッと見で、外国人だと思われることは、ほぼありません。
これがアメリカやヨーロッパ、アフリカなどなど、明らかに見た目から違うと、その前提で関わることが多いと思います。
が、同じと思ってたのに、実は違ったということが良くあった気がします。
「同じと思ってたのに、違った。」
「違うと思ってたのに、実は同じだった。」
どちらが良いとか悪いとかの話ではないです。
他の方からどう思われてたかどうかというより、
自分自身のなかで、近所の仲良いお友達と、
僕のなかでは同じだと思っていたのが、実は違ったんだと思ってから、なんとなく違和感を感じ始めて、変に自問自答してしまったように感じます。
もしかしたら周りの方々は、そんな小さなこと(自分のなかでは大きく捉えてしまってたかもなこと)は、何も気にしてなかったかも知れません。
それはいまとなっては知る由もないですが。
大学4年間で、鍼灸師の資格を取得したお陰で、いまは出張専門治療院の経営もすることになりました。
その勉強と修行のなかで、そして、起業してたくさんの方々と関わらせて頂くなかで
白黒ハッキリ決着をつけるべきものと、それだけでは測れないものと、どちらもあるのかもなと感じております。
東洋医学のベースに、「陰陽論」というものがあります。
大枠の概念としては、すべて2つに区分してはいますが、
実際の現場では当然、陰と陽、この2つにすべて綺麗に分類できる訳ではありません。
陰中の陽
陽中の陰
みたいな状態もあります。
或いは、もっと細かくカスタマイズした方が良いのかも知れません。
幼い頃に感じてた違和感が、いまとなっては、経営・チームビルディングに大きく役立ってるような気もしなくもないです。
学生時代、数学が一番得意で、答えがあることが大好きだった僕でした。
幼いながらに暗中模索してた自分にとっては、正解があることが嬉しかったのかも知れません。
いま経営をしながら感じることは、❝正解がないことが正解❞だということ。
※ここでもある意味、❝正解❞という結論を出してるところも、また我ながら面白いなと感じます。
単純に見えて、実は気難しい性格なところも、また自分で笑けてきます。
そういう自分も大好きではあるのですが。
支離滅裂な文になってしまいました。
お陰様で楽しく幸せな人生を歩ませてもらっております。
画像は、軽井沢の「白糸の滝」に生えてる木。
真っすぐなようで、斜めなようで、
それでいてたくましく、悠然とした態度でそびえたつ姿が素敵です。
ではまた。
カムサハムニダ。感謝感謝です。
株式会社アッティ
代表取締役 梁 燦久
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?