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わからない言語の谷間に挟まれて。言葉ができないのを一番後悔した日

わたしは自分の理解できない言葉が使われる環境にいることに対するストレスに、ずいぶん鈍いほうだと思う。

オランダ語しか話されない、もしくは気を使って英語を使ってくれてもその割合は会話の全体量の5%、みたいな場にいても、別に退屈するでもなく、「まじ早く終わってくれねーかな」でもなく、一人でスマホをいじるでもなく、その場に居座り続けることができる。
オランダ語を勉強してない証拠のようなものなので、なんの自慢にもならないのだけど。

でも世の中にはそうでない人もいる。例えばパートナーとの会話に自分の母国語でもない相手の母国語でもない第三言語を使っている場合、「パートナーの友達のパーティーに行ったけど○○語(相手の母国語)オンリーでつまらなかった」「○○語しか話されないパートナーの実家まじ苦痛」みたいなつぶやきを、時々目にする。

だったらその言語の勉強しろよ!と言いたいわけではなく、おそらくそれから生じる疎外感ってある程度感じる必要があって、そうじゃなければその疎外感を払拭しよう、という気持ちが湧いてこないからだ。おそらくその気持ちが言葉を学ぶモチベーションに繋がって、ただのBGMだった言葉たちがコミュニケーションのツールへと変わる。

わたしはよくも悪くもその感覚が鈍く、合わせて母国語でも積極的に会話をまわすほうではないので、まあこんなもんかな、でここまで来てしまった。

ところが先日、その波が一気に押し寄せて来たのである。

おそらくその前日にこんな記事を書いたのも影響している。

その日は相方とやってきたプロジェクトの成果物が初めてライブで使われる日で、何も問題がないかどうか、私たちはそれが使われる会場で作業することになった。

このプロジェクトのクライアントとのコミュニケーションの部分は全て相方が担っていて、オールオランダ語。

その日会場にいた人たちとももちろんオランダ語で、何がどうなってどう進んでいるかは相方が教えてくれるのだけど、それも折々で、ことがリアルタイムで進んでいるほとんどの間、わたしは完全にただただその場に存在するだけの空気だった。

相方から修正の指示を受け取って、作業をする。とにかくそれがわたしのここでやること、と割り切れればいいのかもしれない。

けれど。

わたしが作ったものが使われている間の、何が大丈夫で何が大丈夫じゃないかが瞬時にわからない。クライアントと顔を合わせて雑談の間も、内容が理解できないから笑みを浮かべてただそこにいることしかできない。

目の前に見えているのは関わってきたことのはずなのに、まるでわたしのものでないような、他人のものを見ているような感覚。

その疎外感に完全に打ちのめされてしまい、帰りの車の中はお通夜だった。

言葉を使うことができれば、あの場でああじゃない、こうじゃない、を言えて、雑談でも冗談を飛ばせるのに。せめて言えなくてもいい、交わされていることの内容がわかれば、わたしの頭でそれに対するリアクションを考えることができるのに。

間違いなく、オランダ語ができないことを一番後悔した日だった。

オランダでは多くの人が英語が話せる。英語で全てカバーできてしまう仕事もたくさんある。

でも本当に根を張りたいなら、オランダ語がわからないと、だめだ。

英語は日本の外に世界を広げてくれるけど、ピンポイントな場所では限界がある。非英語圏でのチャンスを最大限にするにはその国の言葉を操ることができなければならない。

ああ、疎外感、やっぱり必要だった。わたしはここにいる、と声を上げるために。

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