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書くとは秩序化、単純化である。

文章を書くって、混沌として、複雑すぎる物事に秩序を与えることだと思うんです。

簡単に言えば、複雑すぎるから頭の中でもやもやして、なんとなくイメージはできるけれども、言語化は困難。

そういうカオスな事物から、独断と偏見で、法則性を抽出して、誰にでもわかる形式に秩序化することが、作文だと言えるのではないでしょうか。

本来、私たちが住む世界に意味はないと僕は思っています。

世界に意味を与えること。

それが「書くこと」なんだと思います。

最初は、書くって「考えること」だと思っていましたが、どうもしっくりこない。

でも、混沌とした曖昧さに秩序を与えること、カオスな現象に、意味を見出すことこそ、書くことに他ならない。

そう考えると納得がいきます。

わたしたちは、普段、意図的に、戦略的に、計画的な曖昧さを利用しています。

「こんどご飯いこう?」

「おっけ!タイミングがあうとき連絡するね!」

こういうやりとりは、典型的な計画的曖昧さです。


※計画的曖昧さは、安全保障分野、とくに核兵器のエスカレーション関連の理論でも重視されるもので、計画的曖昧さそのものが、無思慮なわけではありません。

曖昧であることは便利ではあるのですが、混乱の原因でもあります。

混乱を沈静化するには、事態を単純化する必要がある。

たとえば、激しい落ち込みが続いている状態を、とりあえずうつ病と名付けよう!みたいなことは、典型的な単純化です。

日常生活では計画的曖昧さが役立つ場合も多いもの。

しかし、物事を、事態を、現象を、精緻に明晰に理解するには、文章を書いて混沌や曖昧さに、意味や秩序を与え、単純化しないといけないと思うのです。

実際には、性別って、同性愛、異性愛だけではなく、何十種類もあるわけですが、とりあえず「男女」と単純化すれば、明晰ではあります。

このように単純化、秩序化で、明晰さを保証することが、書くことなんだと、僕は思います。

以上、「みず(@mizuxyz99)@たまには自分らしい文章書きてー!」でした!

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