「生きるとか死ぬとか父親とか(第6話)」時代があって、家族があって、父親がいる
親戚の子供の出産祝いの席。自分が生まれる前の父親の話を聞く。父親が気を遣わなかったおかげで、自分の姉か兄になるはずの命が流産に終わった話。ここで、それを話す人々は、その場にいて気まずい父親を責めるのではなく、時代のせいにする。確かに時代の生き方というのはある。國村隼が青春を過ごした時代は確かに父親がやりたい放題であり、母親が家を護るという時代だっただろう。私自身も思うが、今は、昭和の親父は生きられない時代になっている。その変化をこの目で観ている者からすれば、確かに時代というも