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「生きるとか死ぬとか父親とか(第11話)」父親との確執を描くという難しさ

このシリーズ、最初に、少し浮世離れした父親の困ったところを描きながら、父娘、家族というものを描いて、その先に、死んだ母親、その時の父親の姿を描く。そして、今回は母が死に、父親の秘密を知り、住み慣れた家を離れなくならなければいけなくなり、家の整理をして、母親の隠していた思いも知るという、なかなか重い回であった。

とにかくも、自分にとって許せないことを書くというのは、簡単そうで難しいということなのだろう。そして、書いてしまうと、読者によっては、それをさらりと流してしまいそうなことでもある。そう、このシークエンスを30分のドラマに仕上げるのは、結構難しいと思う。普通のフィクションの中では、こんなこと、一つのキーになっても、独立した話としては成立しないという気もする。形として取り出せない苛立ちを絵にしドラマにしたスタッフに拍手というところ。

その難しい部分を、大人の吉田羊と、若い頃を演じる松岡茉優が、同時の画面に出てくるということで、うまく処理している。そう、このシーンにより、人生の混沌とした欺瞞みたいなものが見えてくるし、原作のこの項を描くジェーン・スーの気持ちも浮かんでくる。

その部分に、悪気もなく立ち入ってこない國村隼が、なかなかの悪役として存在していたりする。「この親父は何を考えているんだ?」を視聴者に思わせる演出が、すごいリアル。

そして、先週に続き、若い頃を演じる松岡茉優は絶品の演技をする。家賃の督促状が来るところから、不機嫌モードに入っていくのが秀逸だ。その演技があって、大人の吉田羊と語るように同じ場面に出てくるところが盛り上がる。そして、吉田が母親の気持ちにシンクロして、隠してあった毛皮を羽織っているラストは刹那く美しい。

ある面から見れば、こういう自分の家族を告白するような話はドラマで綺麗に処理するべきものではないのかもしれない。エッセイとしてそう思って書いてはいないだろう。でも、こういう演出だからこそ刺さるという感じであった。

今日のタイトルは「不在とか 崩壊とか 人間とか」なかなか、ここも重い。そして、そのタイトル通りの話としてスタイリッシュに出来上がっていた。

このシリーズ、来週が最後だが、最初から見直したくなるドラマである。さまざまなエピソードに自分の人生を重ねてみていくと色々といらないことまで思い出す感じだからだろう。そして、ドラマ制作者に対しても、思いがけない力を与える文章なのだろうと感じたりもする。そういうものを書けるところが、原作者のジェーン・スーの魅力でもあると再認識した。

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