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「生きるとか死ぬとか父親とか(第10話)」松岡茉優にジェーン・スーが乗り移っている緊張感

亡くなった母親のことを描く第二章。なんだろうか?この緊張感は。最近のドラマにはない、重く刹那く刺さってくる感じ。ドラマからこういう感覚を受けるのは民放のドラマからは初めてかもしれない。いや、NHKのドラマにある生真面目さとも違う。この母親を絡めたシークエンスだけ、映画として作っても成立するような重さである。

父が入院し、母も入院してしまい、ジェーン・スーが、会社を辞めて二人の面倒を見に病院通いをしなければいけなくなった話だ。若い彼女の心の混乱がよくわかる。いや、その若いスーさんを演じる松岡茉優が、明らかにスーさんそのものに見えてくる。役者の凄みではあるのだが、松岡茉優をこの役に抜擢したスタッフはなかなかである。

そして、彼女の演技で、今回の肝は、内田慈演じる愛人に電話するところだろう。父が心の混乱から自殺未遂をして、二人の親についてやらねばいかなくなった時に、最後の手段で、父の愛人を頼る。そんなことは絶対にやりたくないが、他に方法がない。電話のやり取りの一言一言に松岡は重い意味を持たせるように話を進める。

そして、勝ち誇ったように、病院にやってくる愛人の姿が良い。前にあったように、白いカラーの花とは相反する赤い花を持って…。ある意味、この話はスーさんも書きたくはなかった話なのではないか?この話を書いた葛藤みたいなものが確実にあったはず。そんなことを考えながら見るとまた艶かしいしリアルな感じがする。

その前に出てくる國村隼が自殺するのを止める看護師さんは、福田麻由子。「スカーレット」に出ていた時より、雰囲気がシャープになり綺麗になっている。もっと活躍してほしい女優さんだ。

また、朽ちていく富田靖子も好演。メイクのうまさもあるが、疲れた病人の顔であるとともに、生きることが辛くなっている感じをうまく出している。視聴者にも「死なないで!」と思わせる演技。

とにかく、病院内の出来事をワンカットワンカット丁寧に紡いだ結果、最初に書いた、なんとも言えぬ空気感が描かれている。

そして、墓前の話に移り、母親だけがいなくなり、抜け殻になった父娘が描かれる。二人で母親を神格化していったという表現はなかなか的確だ。そう、親は亡くなると神として心に宿る。それは、好き嫌いとは無縁の境地でそうなっていく。私自身に照らし合わせてもそう思う。

「母親とか 懇願とか 喪失とか」そう、愛する人を失った過程の後に心は確実に変化していく。現在のスーさんの、他者に対する厳しさを持った優しさは、こういう経験があってのことと納得もしてしまうのである。人は悲しみを通り越して、優しくなれるのである。

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