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「生きるとか死ぬとか父親とか(第3話)」美容ビジネスに男も女もなく、気分の問題なのでは?

今回は、ラジオの相談コーナーの、スキンヘッドの夫が突然、かつらを被ってきたという話から始まる。そしてドラマは、父親の國村隼から、身体がかゆいという電話。食物アレルギーではないかという父だったが、結果は乾燥肌。その上、父は少し前に食物アレルギーの検査をしていたというオチ。ここは、父親の物忘れも描いているのだが、そこで、場が悪そうになった父は、「顔のしみをとってくれ」と言い出す。そこで、娘は、「このじいさんが、何を考えてるんだ!」と思ってしまう。そう、「男の美容は無駄」という、世の中の作った概念が、頭の中でくるくるするのだ。原作者のジェーン・スーという人は、世の中を先取りしてるように考えてる人もいるだろうが、こういう普通の日本人が洗脳されているような部分をしっかり持っていることが、庶民に近しい部分があり、そこを起点として、新しい発見をしたようにエッセイが書けるところが素敵なのだと思う。日常のスタンスが少し変化する部分をすくい取るうまさだろう。

しかし、國村隼がシミを取るところで、医師が煙が黙々たつボトルを持ってくるシーンが面白かった。ここはエステではないが、なんか、異次元感と少しのいかがわしさの中でシミが取られる。こういう風景があると、治療を受ける方も、「してもらった感」があるのだろうか?面白いものだ。

そんな導入から、女子のおしゃべり会に。まずは、友人が買ってきた「小顔になるドライヤー」を試し、ある意味、馬鹿にしながらも「ビジネスとしての目の付け所」には感心したりする。そう、美容機器は、結果が一定に出るわけでない以上、雰囲気と目新しさが重要であり。価格も安くてはいけない。ユーザーである女性自身もそれは理解しているが、それに引っ掛かり共犯者になることが面白かったりもするという話だ。そして、そのノリで話は中国人?のやっているエステに流れる。

このエステシャンの演技がなかなかリアルで面白かった。女はこういう時間を買って、それを楽しみ、満足感を得る。一瞬でも、自分が変身できればそれで良いのである。現代のストレスフルな中ではそれは必要だ。だが、この世界でも「男がそんなものやって」という偏見は今もある。イケメンの男子がやっていても、「チャラ男」に見られたりする。なかなか面倒くさい。男にとっては、まだエステは女性の美容整形くらいの位置にあるのかもしれない。私的には、プロの施術を受けてアドバイスをもらえるなら、それはありだとは思っている。女性でも男性でも、癒しを受けて、自分の自信が持てるようになるなら、それはありであろう。全ては生きる力への投資だと思う。

そして、ラストに最初の質問者からのアンサー。結果的には、自分の思っていたところとは違う周囲の反応があり、驚いているような内容。まあ、偏見や周囲の目など考えないで、行動を起こすことなのかもしれない。「美容とか 見た目とか 偏見とか」という締め!

エステの世界とは、理にかなっているとはいえ、ある一面から見れば「騙しの世界」でもある。そして、施術をしてもらった方は、形になっていないものを買っている感じもする。パンデミックで、この業界も大変だろうが、さまざまに形を変えて、さらに、多くのおじさんたちがこんな時間を楽しむ時代になっていくのかもしれない!未来は自由で、全ての人々が楽しめる時代になるべきだと私は思う。

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