人生ってハードモードしか選択出来ないものなんですかね。イージーにしてくれよ。
久々のnote
はじめまして。ルナと申します。
(めちゃくちゃ偽名です)
自分の気持ちを整理したり、書き記したりしたくなり何年かぶりにnoteをインストールしてみました。お久しぶりnote、なんだか上手く書けるか分かりませんがのんびり書いていきたいと思います。
まずはnoteを書き綴るにあたり、軽く自己紹介からしてみようと思います。
自己紹介
ルナと申します。
30代スタートしちゃいました。
先天性指定難病持ちの身体障害者(正直、見た目では分かりません。)+精神疾患もあります。
本当は専門学校へ進学したかったのですが、やんごとなき家庭の事情がおもすぎて高校卒業したあとは直ぐ社会に出ることになりました。
3K職場から職業訓練校へ
高校を卒業したあと、3Kと呼ばれる業界に圧迫面接で入社し実の父が倒れるまでなんとか続けていました。あの頃は本当に働き口がなかった、私の親友は詐欺を行いニュースになるほどの会社に就職していたほどです。すぐ辞めてましたが。
そこから父は癌、自身も持病の悪化があり、その影響からか職場の体制に疑問を持ち、父の病状が落ち着いた頃に退職。
この業界は給料も少ないですし、貯金もない、雇用保険の待機なんて待っていられないと無理やり職業訓練校の面接を受けて取りたくもない資格を取ったりして食いつなぎ、失業保険を貰いながらニートを満喫しながら転職活動をして全くしたことのないお仕事に長く勤務していました。
大好きだった職場と葛藤と。
最初は本当に難しく、大変で泣いたことなんて何度もありましたし、辛かったですがやり甲斐を感じてからは表彰をされたり、色々なことを任せてもらうようになり、管理職も少し経験しました。やり甲斐がとにかく感じられ、先輩や同期、クライアント先の上司、とにかく職場が大好きでした。
ですが、そのあとすぐ人生が狂いました。私の会社は大手のとある会社に出向する形で(委託契約ですが、契約社員という感じで)勤務していたのですが、少し雲行きが怪しいなと思っていた中、予感的中。クライアント先から突然の全員契約解除のお知らせがやってきました。2020年12月後半のことです。もう年末年始に差し迫る頃の話でした。
来年の3月を持って契約解除
断片的にしか記憶がないのですが次々と同僚が集められ、全て説明し終わったあとにクライアント先ではなく直属の上司が飛びました。(逃げました、クライアント先にやらかしたようで異動したそうです。なんて都合のいいことでしょう。)
私が入社してから直属の上司は2回変わっています。やらかした本人の前の人もやらかして、最初にいた人は仕事はできるがあまり評判が良くないので異動して。みたいな。
怖いのが飛んだ上司のあとの後任が残り3ヶ月ほどしかないのに、一番最初の上司がカムバックしてきました。怖かったです。
年が明けてからは次の道を探さなければなりませんでした。
クライアント先にはもうふたつ会社が入っていてそっちに移籍することもできるし、自社内で異動、もしくは退職し転職先を探す。
正直、悩んでいました。クライアント先の別会社に行けばキャリアを詰める可能性はあったんです。ですが、私がやっている業務をやっている人がいたので必要なくなる気もしたり。たくさんいても良かったんじゃないのかと今は思いますが。
退職するにしても自己都合にされると言われ、また悩む。理由としては流行り病の流行です。まだこのときはこんなに流行ると思っていなかったのですが、結論流行ってしまったので退職して露頭に迷っていた可能性があったかもしれません。
そのときは保守的に回ってしまい、自分の培ったキャリア形成のため異動しましたが異動先でモラハラのようなことがたくさんあり、精神を壊し有休消化のタイミングで退職。
とりあえず稼ぐしかない。
一旦前の職場のクライアント先の上司からお誘いを受け、実は戻りました。ですが精神が壊れてしまっていたことや、家庭のことで仕事ができず休職するものの無理をしてでも復職しないといけなくなり復職しましたが1日でだめになり、契約解除という形で退職しました。しかし、お金がない。働けない。実家にいるのに毒親なのでお金がない。働かないといけない。
私はすぐにお金にするため、とある配信サイトにて配信者を3年ほどしていました。なんとか食べて生きていた感じです。
それから流行り病も落ち着き(自分もかかって、そこから体調を崩しました。)復帰してからもやはり、配信で稼げなくなったため派遣をしてみたりしましたが、派遣が合わずまた出戻り。何とか食べていけるくらい(以下の日もありました)稼いでいましたが、昨年秋から全く稼げなくなりました。
ただ、社会復帰が怖く悩んでいたときに就労支援施設というものを知りました。今はA型施設に一利用者として通所し、毎月お給料をもらっています。
そんな私のハードモード人生ついて書きたいんだ。
だからnoteを立ち上げました。
人生ハードモード。
私の人生ってはっきりいって、
ハードモードだと思っています。
ゲームって、レベルを選べるじゃないですか。
イージーモード、ノーマルモード、そしてハードモード。
プレイヤーは選択することができる。あくまでそれがゲームだからです。ですが、人生はゲームではなくこの世に生まれたときからの定めであって、それがうまく行くこともあればうまく行くわけでもないことだってある。それによってどう転ぶか分からない。
私はいわゆる親ガチャも失敗し、人生も正直何が楽しいのかよくわからないそんな毎日です。
もちろん趣味のおかげで楽しい日もありますが(救ってくれている推しありがとう)、元々ハンデがありながらも働き、その中で色々な葛藤、複雑な家庭環境でのこと、流行り病による生活変化や、働くことに恐怖を覚えてから崩れていったキャリア。全然イージーモードなんかじゃないんです。
ハードモードで生きてます。
そんな私のハードモード人生を書き綴っていきたいと思っているので、良ければいいねやコメント等宜しくお願いします。
人生のこと以外にももちろんA型施設でのこと(特定されない程度に…)、色々役に立ちそうなことを書きたいなと思っています。
ちなみに現在、その施設で出会った軽度知的障害を持つ彼と結婚を見据えた交際中です。そんな話もぽつぽつと。
宜しくお願いします 。
放置していたのを思い出して、編集してみたり。
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