現代版・徒然草【32】(第112段前半・赴任)

今日から、新年度である。

このシリーズも32回目となるが、いつもお読みいただいている人は、兼好法師が書く文にも慣れてきたのではないだろうか。

新年度からは、少し解説の仕方を変えてみて、みなさんがいろいろと考えながら読めるようにしてみたい。

今日のテーマは、「赴任」である。人事異動のこの時期にふさわしいかと思って、チョイスしてみた。

この段は、前半と後半があるので、2日にわたって解説する。では、原文をみてみよう。

①明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、心閑(しず)かになすべからんわざをば、人言ひかけてんや。
②俄かの大事をも営み、切に歎く事もある人は、他の事を聞き入れず、人の愁へ・喜びをも問はず。
③問はずとて、などやと恨むる人もなし。
④されば、年もやうやう闌(た)け、病にもまつはれ、況んや世をも遁(のが)れたらん人、また、これに同じかるべし。

以上である。

①明日遠い国へと赴任する(=地方への異動、もしくはその逆)という人に、他の人が、心を落ち着けて取りかかることができないようなことを言う(=頼む)だろうか。いや、言わないだろう。

②突発的な事態に対応したり、嘆かざるを得なかったりする人は、他の人の言う事など聞き入れず、他人の憂いや喜びについても尋ねたりしないだろう。

③尋ねなかったからといって、恨むような人もいない。

④したがって、だんだん年を取り、病にも見舞われ、遁世する(=出家する)人も、これと同じであろう。

要は、現代風に言えば、①②の文は、異動が決まって慌ただしくしている人に、落ち着いて取りかかれないことを頼むだろうか、そんな(慌ただしい)人は、人の話を聞く余裕もないし、他人の慶弔のことなどもいろいろと尋ねる余裕もないことは分かっていると言いたいのである。

③で触れているとおり、慌ただしい人が、尋ねなかったとしても、誰も恨まないのは、今でも同じである。

最後の④では、まさにこれから出家して悟りの境地に達しようとする人の場合も、慌ただしい人と同じことが言えるよねという話である。

そういえば、私の今回の異動では、慶弔の話は聞いていない。実際になかったのか、気遣われて知らされていないだけなのか、ということも考える必要があるのかもしれない。

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