【続編】歴史をたどるー小国の宿命(4)

室町幕府の将軍は、江戸幕府の将軍と同様に、第15代まで続いた。

江戸幕府の最後の将軍は、ご存じのとおり徳川慶喜である。

室町幕府の最後の将軍は、足利義昭(よしあき)であり、織田信長が義昭を追放したことによって、1573年に事実上の幕府滅亡となった。

ただ、徳川慶喜が明治維新後も生き延び、大正2年に76才で亡くなったように、義昭もまた1588年の秀吉の時代まで生き延び、信長より長生きした。

それについては、また本シリーズの後半で触れることになるだろう。

さて、1425年の義量の急死から事実上の空位となっていた将軍職に、第6代の義教が就いたのは、4年後の1429年のことだった。

このとき、義教は35才だった。同母兄だった義持より、8つ年下だった。

すでに触れたとおり、義教はもとは僧侶であり、「義円」(ぎえん)という名で活動していた。

3代将軍の義満のように、将軍職を退いてから出家する例はあっても、僧侶が還俗して将軍になるのは前代未聞であった。

ところが、この義教が、のちに「恐怖政治」を行うことになり、各地の有力な守護大名は、義教を恐れることになる。

実際に、一色義貫(いっしき・よしつら)と土岐持頼(とき・もちより)の守護大名2人は、義教の命令で誅殺された。

結果的に、父親の義満や兄の義持以上に、絶対的権力を持つことになった義教は、最後は暗殺されることになる。

いつの時代も、世の中をうまく治めることは難しいが、義教の政策は、やはり行き過ぎたところがあった。

1441年、47才で絶命した義教に、何があったのだろうか。

続きは、明日である。





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