法の下に生きる人間〈第95日〉

本シリーズの最初の回から、とびとびでもよいので、シリーズ全体の流れを見ていただくと、この第86日から第94日にかけての記事の内容も踏まえることで、私たち人間が法の下に生きるとはどういうことなのかが分かってくるだろう。

今日は、1週間のまとめになるが、公共の福祉の課題について考えよう。

「公共の福祉」とは、社会全体の共通の利益のことであり、みんなが平等に利益を享受することが日本国憲法の理念として掲げられている。

だが、一方で、憲法は、個人の人権も尊重されるべきだと定めており、基本的人権の尊重と公共の福祉のバランスがうまくとれるように、個人の利益の追求は制約されているのが現実問題としてある。

憲法第12条を読むと、そのことが分かるだろう。

【第十二条】
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

以上である。

権利を濫用してはならないのは、社会全体のことを考えなさい、つまりは、職場や地域における周りの人のことも考えなければいけないという理由からくるものである。

誰かが自分の利益を追求するあまり、それが他人の権利の侵害につながってはいけない。

したがって、自分が自由を求め、与えられた権利を行使したいのであれば、その前に、周りの人も一緒に利益を享受できるような努力をしなさいということである。

分かりやすい例を挙げるならば、働いてお金を貯めたいのであれば、その仕事が他人の利益につながるように一生懸命に働き、みんなが幸せになれるよう努力するという感じだろうか。

それは、個人ではなく、企業にも言えることだし、かつての日本には、企業の行き過ぎた利益追求によって、深刻な公害を招いたという苦い歴史がある。

今、再び、若い世代を中心に、持続可能な開発目標(=SDGs)が掲げる「誰ひとり取り残さない」という理念のもとで、さまざまな活動が、個人や企業単位で取り組まれている。

持続可能な開発ということで、とかく環境の側面で語られることが多いが、SDGsには、社会と経済と環境の3つのジャンルが調和された考え方があり、「誰ひとり取り残さない」(=No one will be left behind)という言葉どおり、究極的には人間の生存自体が焦点となる。

宗教上の対立で紛争が戦争に発展し、国家間の攻撃の応酬で個人の生存が脅かされ、自然環境も破壊される。軍需産業は栄えるかもしれないが、観光産業は大打撃を被り、衰退する。それによって、従業員は生きていくための職を失い、生計を立てるのが難しくなり、親も子どもも貧困や飢餓に見舞われる。

こうした事態を避けるべく、国家間の条約締結や国内の法整備が日々検討され、望ましい未来の人間社会を創っていくことが、私たちに課せられた使命なのである。



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