現代版・東海道中膝栗毛【11日目①】

愛知県と三重県に挟まれている伊勢湾には、江戸時代は「七里の渡し」船の航路があった。

今では、それはなくなって、遺構として「宮の渡し公園」が熱田区にある。

そして、航路のほぼ近くに伊勢湾岸自動車道がつくられ、名阪(名古屋~大阪)間では交通量が多い道路のひとつとなっている。

さて、弥次郎兵衛と喜多八は、その「七里の渡し」を利用して、宮宿から桑名宿まで移動した。

七里は約27キロであるが、当時の渡し船では4時間かかった。ただし、干潮時は、もっと時間がかかった(約6時間)。

なぜだか理由を説明できるだろうか?(答えは、明日をお楽しみに!)

船を降りたら、今の三重県桑名市に到着するわけだが、宮宿から桑名宿まで陸路を歩くと、船よりも時間がかかった。だから、弥次喜多コンビも、海路を選択したのである。

桑名まで4時間で行けるわけだから、2人は、その先の四日市宿まで歩き、その日は四日市に宿泊したのである。

四日市は、かつては石油化学コンビナートが建ち並び、四日市ぜんそくとして公害で有名になったという苦い歴史がある。

また、伊勢湾台風が1959年にやってきて甚大な被害を及ぼし、その3年後に公害が起こるという大変な時代だった。

気候変動の問題に直面している今、かつての二の舞にならないよう、私たちも真剣に環境問題を考える時期にきている。






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