現代版・徒然草【18】(第161段・桜の見頃)
今も昔も、桜の季節になると、人はこぞって花見を楽しむ。
今日は、たった一文だけの段を紹介する。「えっ?一文しかないの?」とズッコケるかもしれないが、むしろじっくり古文を味わえる良い機会と捉えて読んでみよう。
では、どうぞ。
花の盛りは、冬至より百五十日とも、時正(じしょう)の後、七日とも言へど、立春より七十五日、大様(おおよう)違(たが)はず。
以上であるが、冬至と立春は、今でも毎年のように気象ニュースの話題になる。
花の盛りというのは、すなわち満開の時期、ちょうど見頃だということだが、それがいつなのかを、昔の人も話題にしていたわけである。
今の時代のように、テレビやラジオで気象予報士が解説してくれるわけではない。
現代では、冬至は12月21日もしくは22日。立春は2月3日もしくは4日。その年によって、冬至と立春は前後1日のずれがある。
「時正」という言葉は、今では聞き慣れないが、いわゆる春分の日や秋分の日をさす。つまり、彼岸である。
この日は、昼の長さと夜の長さがほぼ等しくなるということを知っている人もいるだろう。
ここでいう「時正」は、春分をさすから、現代では3月20日もしくは21日ということである。
では、現代風に言い直してみよう。
桜の見頃は、冬至から150日後(5ヶ月後)、あるいは春分から7日後というけれども、立春から75日後(2ヶ月半後)といっても、ほとんど違い(=差)はない。
と言い直してみると、「おいおい、桜の見頃は5月中旬かよ?」と気づくかと思う。
そう、現代の暦に合わせるとおかしくなる。昔の暦では、現代より1ヶ月早くなると考えたらよい。(本当は複雑な経緯があるが、ここではあえて言及しない。)
そうすると、兼好法師が過ごしていた京都では、4月半ばが、桜の見頃ということになる。
だが、この解釈で読み進めると、春分から7日後(一週間後)とか、立春から75日後の説明がつかなくなる。
春分から7日後は2月末、立春から75日後は3月半ばになってしまうからである。
ただ、あえて兼好法師が「春分」ではなく、「時正」という言葉を使った理由を考えれば、これは現代の春分の日から一週間後と捉えるほうが正しいのかもしれない。
そして、兼好法師が「立春より七十五日」と言ったことで、引き算をすると、冬至から立春までも七十五日ということになるのだが、そこは目をつぶろう。
要は、3月半ばから4月半ばにかけて、全国各地から桜の便りが来ると解釈すれば、現代においても確かに違和感はないだろう。(北海道は、当時は未開の地であった。)
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