歴史をたどるー小国の宿命(14)

なぜ、わざわざ関東の人間が、防人として北九州に連れてこられて、国防の任務にあたったのか?

奈良からでも、地元の九州でも、いくらでも人はいたはずである。

これについては、確かな理由は分かってはいないが、少なくとも拒絶できない状況であったことは想像できよう。

報酬が出るわけでもないから、報酬目当てでもない。

そうすると、中央政権の権力者に屈服させられた可能性がある。江戸時代に、妻子を江戸におかせて地方の大名に参勤交代をさせた幕府のようなやり方があったのであろうか。

そして、防人となった人は、遠い九州の地で、故郷を思ったり、自分の家族の安否を気遣ったりする歌を詠むことになる。

それが、「防人の歌」として、有名な万葉集にも収められている。

今の時代の私たちは、うれしいときや楽しいとき、悲しいときやさびしいときに、歌を歌ったり聴いたりする。

それと同じように、当時の防人の人たちも、自分の歌を詠んだり、同じ防人の歌を聞いたりして、心を落ち着かせようとしていたのだろう。

これまでは、政権の話が続いていたが、こういった人たちの存在にも目を向けることで、歴史を深く理解することができるのである。

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