古典100選(9)堤中納言物語

藤原道長が亡くなった(1028年)あとも、平安時代は、平家滅亡(1185年)まで160年近く続いている。

その期間に書かれたといわれている作品の一つが、今日紹介する『堤中納言物語』である。

堤中納言という人物は、この物語に登場しないので、なぜ「堤中納言」という物語名がついたのかは不明であり、作者も分からない。

この物語は、実は10の短編で構成されていて、その中でも「虫愛(め)づる姫君」という短編が、なかなかおもしろい。

題名のとおり、虫を愛するお姫様のお話である。

私たちが子どものころは、平気でカエルやバッタを捕まえていたものだが、大人になると、子どもが虫を捕まえて見せにきただけでも「ワッ」と思わずのけぞる人も多い。女の人は「キャー」とか「やめて」とか叫ぶだろう。

この姫君は、子どもではないのに、平気で毛虫(=物語の中では「かは虫」と書かれている)も好むのである。

では、「虫愛づる姫君」の原文の一部を読んでみよう。

①この姫君ののたまふこと、「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人は、まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ。」とて、よろづの虫の、恐ろしげなるを取り集めて、「これが、成らむさまを見む。」とて、さまざまなる籠箱どもに入れさせ給ふ。 

②中にも、「かは虫の、心深きさましたるこそ心にくけれ。」とて、明け暮れは、耳はさみをして、手の裏に添へ臥せて、まぼり給ふ。 

③若き人々は、怖ぢ惑ひければ、男の童の、もの怖ぢせず、言ふかひなきを召し寄せて、箱の虫どもを取らせ、名を問ひ聞き、いま新しきには名をつけて、興じ給ふ。

以上である。

ざっと訳すならば、①は「この姫君が言うには、世の人々が(きれいな)花や蝶を愛でるのは、浅はかで不思議なことだと。人間には誠実さというものがあり、虫の本質的な部分を探究することこそ、その心がけが優れているということだと言って、恐ろしそうな虫まで採集して『これが成長するのを観察してみよう』と言って、さまざまな虫かごに入れていく。」となる。

②を訳すならば、「中でも、『毛虫が思慮深そうに行動しているのは奥ゆかしい』と言って、明けても暮れても(自分の髪を)耳の後ろにかき上げて、手のひらの上に這わせては見守っていらっしゃる。」となる。

最後の③は、「若い女性たちは怖がって逃げ惑うので、物怖じしない男の子を呼んでは虫の名を尋ねて、名前のない新しい虫には名を付けて楽しんでいらっしゃる。」となる。

なんとまあ、こんな女性がいるものだと呆れながらも、おもしろいので、興味がある方は、ぜひこの続きを読んでみるとよいだろう。

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