古典100選(6)醒睡笑
今日は、落語の祖ともいえる「安楽庵策伝」(あんらくあんさくでん)という京都のお坊さんが著した笑話集『醒睡笑』(せいすいしょう)を取り上げよう。
1628年、徳川秀忠の時代に、安楽庵策伝が京都所司代に献呈した笑話集である。
安楽庵策伝は、戦国時代に生まれ、あの織田信長が本能寺の変で自害したときは、まだ28才の若さだった。
当時としては長生きをした人で、88才まで生きた。
『醒睡笑』とは「睡(ねむ)りを醒まして笑う」という言葉から付けられた作品名である。
では、いろいろと笑い話がある中で、そのうちの一つのお話を紹介しよう。
①小僧あり、小夜(さよ)ふけて長棹をもち、庭をあなたこなたとふりまはる。
②坊主是(これ)を見付け、「それは何事をするぞ」と問ふ。
③「空の星がほしさに、うち落さんとすれども落ちぬ」と。
④「扨々(さてさて)鈍なる奴や、それほど作(さく)がなうてなる物か、そこから棹がとゞくまい、屋根へあがれ」と。
⑤お弟子はとも候へ、師匠の指南ありがたし。
⑥「星一つ 見つけたる夜(よ)の うれしさは
月にもまさる 五月雨の空」
以上である。
小僧が長棹を持って、空の星を取ろうと、あっちやこっちやと棹を振り回すのは、見ていて笑えるのだが、それに対して、お坊さんが何を言うかと思ったら、「そんなんじゃ届くわけがない。屋根へ上がれ。」と言ったものだから、聞いていた人はズッコケるわけである。
この話とよく似ているのが、空の月を取ってくれと子どもが泣く俳句である。
「名月を取ってくれろと泣く子かな」
小林一茶が57才のときに詠んだ俳句だが、このときは1820年だった。
『醒睡笑』が献呈されてから200年後の俳句である。
空にある星や月は、本当は手で取れるようなものではないと分かるのは、何才になったときなのだろうか。
それを「取れるわけがない」と即座に否定するのではなく、「屋根へ上がれば届くだろう」と言ってみせる大人は、ふつうなら「おまえはバカか」と言われるレベルだが、あえて子ども目線で子どもと一緒に、星や月を取ろうと寄り添うのも微笑ましい。
「星は、宇宙の停車駅なんだ」
橋本淳作詞、平尾昌晃作曲の『銀河鉄道999』の2番の歌詞に出てくるフレーズである。
夢やロマンがある笑い話、天文学的な難しい話でも子どもに親近感を持たせる例え。
それは、何百年経っても、色あせることのない人間の知恵なのである。
『星になった少年』の映画も有名である。
いろいろ脱線して申し訳ないが、こちらは、また違った意味の「星」である。