20世紀の歴史と文学(1951年)

昨日は、七夕だった。

1951年7月7日は、第1回湘南ひらつか七夕まつりが開かれた。

そして、昨日は第72回の七夕まつりが無事に終わった(7月5日から3日間開催)。

西暦の末尾の数字が、開催回数の下1桁になるわけだが、本当ならば、今年2024年は「第74回」になるはずだった。

2回分、開催がなくなっているのは、そうコロナ禍の影響である。

令和2年と令和3年は、2年続けて中止になったからである。

こうした祭りの開催状況をみても、日本が戦後、いかに平和な状況が続いていたかがよく分かるだろう。

そして、長期的な感染症の大流行も、コロナ禍を除いて、これまでほとんどなかったということになる。

さて、七夕まつりが開催されるほどにまで、日本に平和な日常が戻ってきた1951年は、9月8日に、サンフランシスコにおいて平和条約が結ばれた年でもある。

同時に、アメリカとは日米安全保障条約が締結された。この安保条約は、のちに安保闘争が起こるきっかけにもなったわけだが、当時の全文を読んだことがない人は、きちんとこの機会に確認しておいたほうが良いだろう。

以下に、全文を示そう。

日本国は、本日連合国との平和条約に署名した。日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。
無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。
よつて、日本国は平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。
平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。アメリカ合衆国は、平和と安全のために、現在、若干の自国軍隊を日本国内及びその附近に維持する意思がある。
但し、アメリカ合衆国は、日本国が、攻撃的な脅威となり又は国際連合憲章の目的及び原則に従つて平和と安全を増進すること以外に用いられうべき軍備をもつことを常に避けつつ、直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する。
よつて、両国は、次のとおり協定した。 

【第一条】
平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。
この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起された日本国における大規模の内乱及び騒擾を鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。
【第二条】
第一条に掲げる権利が行使される間は、日本国は、アメリカ合衆国の事前の同意なくして、基地、基地における若しくは基地に関する権利、権力若しくは権能、駐兵若しくは演習の権利又は陸軍、空軍若しくは海軍の通過の権利を第三国に許与しない。
【第三条】
アメリカ合衆国の軍隊の日本国内及びその附近における配備を規律する条件は、両政府間の行政協定で決定する。
【第四条】
この条約は、国際連合又はその他による日本区域における国際の平和と安全の維持のため充分な定をする国際連合の措置又はこれに代る個別的若しくは集団的の安全保障措置が効力を生じたと日本国及びアメリカ合衆国の政府が認めた時はいつでも効力を失うものとする。
【第五条】
この条約は、日本国及びアメリカ合衆国によつて批准されなければならない。
この条約は、批准書が両国によつてワシントンで交換された時に効力を生ずる。
以上の証拠として、下名の全権委員は、この条約に署名した。
千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で、日本語及び英語により、本書二通を作成した。

以上である。

下名の全権委員とは、日本側は、当時の内閣総理大臣だった吉田茂だけである。

アメリカ側は、アチソン国務長官ほか3名が署名したが、当時のトルーマン大統領は署名人にはなっていない。

この安保条約の全文を読んで、今もなおアメリカと同盟関係が続いている現状について考えてみると良いだろう。

沖縄の基地問題など複雑な事情はあるが、国家の命運を左右する出来事として大きな意義があったことは間違いないのである。

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