現代版・徒然草【80】(第89段・猫また)

宮沢賢治の『注文の多い料理店』は、2人の紳士が化け猫に危うく食われそうになり、最後は連れていた猟犬に助けられるというお話である。

今の時代は、猫カフェが当たり前のようにあり、猫は癒やしの対象になっているが、(噂なのか実話なのか)化け猫に悩まされた時代もあった。

では、原文を読んでみよう。今日は、ほとんどの文が、独力で読めると思うので細かい現代語訳は省略する。

①「奥山に、猫またといふものありて、人を食らふなる」と人の言ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経上(へあ)がりて、猫またに成りて、人とる事はあんなるものを」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏とかや、連歌しける法師の、行願寺の辺にありけるが聞きて、独り歩かん身は心すべきことにこそと思ひける比(ころ)しも、或所にて夜更くるまで連歌して、たゞ独り帰りけるに、小川の端(はた)にて、音に聞きし猫また、あやまたず、足許へふと寄り来て、やがてかきつくまゝに、頚(くび)のほどを食はんとす。

②肝心(きもこころ)も失せて、防がんとするに力もなく、足も立たず、小川へ転び入りて、「助けよや、猫またよやよや」と叫べば、家々より、松どもともして走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。

③「こは如何に」とて、川の中より抱き起こしたれば、連歌の賭物取りて、扇・小箱など懐(ふところ)に持ちたりけるも、水に入りぬ。

④希有にして助かりたるさまにて、這ふ這ふ家に入りにけり。 

⑤飼ひける犬の、暗けれど、主(ぬし)を知りて、飛び付きたりけるとぞ。

以上である。

猫またの噂を聞いていた行願寺のお坊さんが、連歌(れんが)の会を楽しんで夜遅く一人で帰っていたわけだが、猫またらしきものが足元に寄ってきて、首のところに飛びついたという。

びっくりして川に転げ落ちて、連歌の賞品も水に浸かってしまった。周辺の家の人たちが松明を灯して助けてくれたが、実際は猫またではなくて、飼い犬が坊さんの帰りを喜んで走り寄って飛びついてきたということだった。

なんとマヌケなことと思うかもしれないが、思い込みによる事実誤認というのは、誰にしも起こりうることである。

「キツネとタヌキの化かし合い」、キツネうどんにタヌキそばなど、人間の暮らしに根づいている言葉の裏には、架空の物語とはいえ、深い歴史が刻まれているのである。

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