20世紀の歴史と文学(1907年)

1907年も、夏目漱石は『虞美人草』という小説を発表し、朝日新聞に掲載された。

同じ年に、田山花袋(たやま・かたい)が『蒲団』を発表したのだが、こちらは性的描写が話題になった。ここでは、詳しく触れないが、興味がある方は読んでみると分かるだろう。

田山花袋は、この年に35才であり、すでに前年に『破戒』を発表して注目されていた同世代の島崎藤村を強く意識していたようである。

田山花袋は、もともと尾崎紅葉に師事していて、1890年代以降、いくつかの作品を発表していた。そして、彼の作品は自然主義文学のジャンルに位置づけられていた。

自然主義文学は、フランスの小説家だったエミール・ゾラを中心に1870年代に広がり、その考え方は1890年代後半に日本にも入ってきた。

もとは写実主義(リアリズム)文学が発展したものであり、その言葉どおり、現実を客観的に描写し、主観や架空性を排除する考え方である。

明治期の初めに、この写実主義を唱えたのが、昨日の記事で紹介したとおり、『小説神髄』を書いた坪内逍遥である。二葉亭四迷は『浮雲』で、その考え方を継承した。

ところが、1890年に森鷗外が発表した『舞姫』は、ロマン(浪漫)主義への道を開くきっかけとなった。

ロマン主義とは、夢や自由を希求する考え方であり、ロマン主義文学の先駆けとなったのは、ジャン=ジャック・ルソーが1761年に発表した『新エロイーズ』という小説である。

これもフランス文学であるが、当時、ベストセラーとして有名になった。日本は、まだ鎖国状態であり、文明開化がなければ、西洋文学の影響を受けるのはもう少し遅かったかもしれない。

森鷗外は、ご存じのとおり、ドイツでの留学経験をもとに『舞姫』を書いた。豊太郎のエリスへの想いが随所に描写されている、すなわち主観と感情を重視する作風がロマン主義なのである。

ちなみに、ロマンの当て字を「浪漫」としたのは、夏目漱石である。以降、現代においても米米CLUBの『浪漫飛行』(1990年発表)など、歌のタイトルにも使われている。

ロマン主義文学に属するのは、昨日の記事で紹介した樋口一葉の『たけくらべ』、徳冨蘆花の『不如帰』、泉鏡花の『高野聖』などである。

そこへ、自然主義文学の考え方が入ってきたので、ロマン主義からの脱却を試みた島崎藤村や田山花袋が注目されたのである。

ただ、田山花袋の『蒲団』は、ここまで現実を赤裸々に書くことが、(エミール・ゾラの提唱した)自然主義の考え方なのかと、大きな論争を起こしたのである。

さて、1907年は、日露戦争の影響もあって、1月下旬に日本は恐慌に見舞われ、東京株式市場は大暴落となった。

そこから1914年の第一次世界大戦による戦争特需が生じるまで、日本経済は10年近く低迷するのである。

今は、バブル期以来の株価上昇が話題になっているが、そろそろ気を引き締めておきたいところである。

歴史は繰り返す。











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