現代版・徒然草【12】(第140段・財)

前回は、「死」がテーマだった。今日は、その死後に遺す「財」がテーマである。つまり、遺産のことである。

兼好法師の記述を読むと、今も昔も同じだなあと、改めて考えさせられる。

では、原文をみてみよう。

身死して財(たから)残る事は、智者(ちしゃ)のせざる処なり。よからぬ物蓄へ置きたるもつたなく、よき物は、心をとめけんとはかなし。こちたく多かる、まして口惜し。「我こそ得め」など言ふ者どもありて、跡に争ひたる、様(さま)あし。後は誰にと志す物あらば、生けらんうちにぞ譲るべき。 朝夕なくて叶はざらん物こそあらめ、その外(ほか)は、何も持たでぞあらまほしき。

冒頭では、死んだあとに、財産が残ることは、賢い人のすることではないと言っている。

「よからぬ物蓄へ置きたるもつたなく」というのは、くだらない物を溜めておくのは見苦しいという意味である。

逆に、「よき物」(=価値のある物)は、それに執着していた(心をとめけん)と思われて情けない(はかなし)。

「こちたく」は、言甚し(こといたし)の連用形の略であり、甚だしいという意味である。

遺産が甚だ多いのも、よけいに残念なことであると言っている。

そして、「私がいただこう」と言って周りが争う様子は醜いし、もし誰かに渡しておこうと思う物があれば、生きているうちに譲るべきだと説いている。

最後の一文では、「一日の生活になくてはならない物はあってもよいが、それ以外は何も持たないほうが望ましいのだ。」と締めくくっている。

物質的に豊かな現代に生きる私たちは、なくても生活に困らない物のほうが、生活必需品よりはるかに多いかもしれない。

兼好法師が今の時代に生きていたら、きっと嘆くことだろう。

他人の引越しやら遺品整理やらで大変だとか言っている人は、まずは自分の身辺整理から始めて、いつ自分がどうなっても大丈夫なように準備しておくことが大切なのである。





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