古典100選(12)大和物語

信州へ旅行によく行っている人なら、姨捨伝説の舞台となった「姨捨」(おばすて)を訪れたことがあるだろう。

私もその一人である。

この姨捨伝説のお話は、いつ頃からあったのかというと、950年頃に書かれたという『大和(やまと)物語』の第156段に、その記述がある。

『大和物語』は、先週紹介した『伊勢物語』の後に書かれており、作者は不詳であるが、藤原道長が生まれる15年前には成立していた。

では、『大和物語』第156段の「姥捨」のお話を読んでみよう。全文抜粋である。

①信濃国に更級といふ所に、男住みけり。 
②若き時に、親は死にければ、をばなむ親のごとくに、若くより添ひてあるに、この妻の心憂きこと多くて、この姑の、老いかがまりてゐたるを、常に憎みつつ、男にもこのをばの御心のさがなくあしきことを言ひ聞かせければ、昔のごとくにもあらず、おろかなること多く、このをばのためになりゆきけり。 
③このをば、いといたう老いて、二重にてゐたり。
④これをなほ、この嫁、所狭がりて、今まで死なぬことと思ひて、よからぬことを言ひつつ、「持ていまして、深き山に捨てたうびてよ」とのみ責めければ、責められわびて、さしてむと思ひなりぬ。
⑤月のいと明かき夜、「嫗ども、いざたまへ。寺に尊きわざすなる、見せ奉らむ」と言ひければ、限りなく喜びて負はれにけり。 
⑥高き山のふもとに住みければ、その山にはるはると入りて、高き山の峰の、降り来べくもあらぬに置きて逃げて来ぬ。
⑦「やや」と言へど、いらへもせで、逃げて家に来て思ひをるに、言ひ腹立てけるをりは、腹立ちてかくしつれど、年ごろ親のごと養ひつつ相添ひにければ、いと悲しくおぼえけり。
⑧この山の上より、月もいと限りなく明かく出でたるを眺めて、夜一夜、いも寝られず、悲しうおぼえければ、かく詠みたりける。 

⑨わが心    なぐさめかねつ    更級や
姥捨山に    照る月を見て 

と詠みてなむ、また行きて迎へ持て来にける。 
⑩それより後なむ、姥捨山と言ひける。 
⑪「慰めがたし」とは、これが由になむありける。

以上である。

この物語では、おばを山に捨てたものの、良心の呵責に苛まれて、結局のところ連れ戻しに行っている。

山の名は、⑨の和歌でも⑩の文でも「姥捨(うばすて)山」と書かれている。

信州の地名は「姨捨」なので違いに注意しよう。

腰が曲がっていることを醜いものを見るような目で言う嫁にもびっくりするが、男が良心的でホッとする結末である。

だが、現代においても、老老介護で疲れて親を殺してしまおうと切羽詰まる人がいることも事実である。

この物語を読んで、どうか思いとどまってほしいものだ。

ちなみに、長野の姨捨は、「田毎(たごと)の月」も有名である。

また、姥捨伝説は『大和物語』のほかにも、昭和時代の小説家である深沢七郎の『楢山節考』(ならやまぶしこう)にも書かれているので、読んでみるとおもしろいだろう。

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