法の下に生きる人間〈第16日〉

先週末は、官房長官が沖縄に行き、将来的に懸念される台湾有事に備えた現地視察を行った。

北朝鮮の度重なるミサイル発射によるJアラートもそうだが、これらの挑発行為に対する日本政府の対応は、どういった法律が根拠になっているかご存じだろうか。

平成14年(2002年)に、当時の小泉純一郎総理大臣が、北朝鮮から拉致被害者の帰国を実現させたことは、もう遠い昔の話に感じるだろう。

金正恩の父親が生きていた時代に、歴史的な交渉成功があったのは本当に良かったのだが、あれから20年、ほとんど進展はない。

そして、忘れてはならないのは、拉致被害者帰国が実現した1年前の9月に、世界第一位の覇権国アメリカがニューヨークで同時多発テロに見舞われるという、まさかの大事件が起こったことである。

また、拉致被害者帰国の1年後の2003年は、1990年代前半の湾岸戦争以来のイラク戦争が約10年ぶりに起こり、当時のブッシュ大統領の指揮によってフセイン政権が倒壊した。

イラク戦争後は、日本の自衛隊も現地復興支援に駆り出され、当時の国会では、「安全な場所がどこにあるのか」と論戦が過熱した。

そして、平成16年(2004年)6月、通常国会の会期末に、いわゆる「国民保護法」なる法律が成立したのである。

この「国民保護法」の正式な名称は、「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」であり、長い年月をかけて検討が重ねられた有事法制が、ついに成立したのである。

実は、それまでは日本に有事法制がなく、何かが起きたときにどう対応するかということが1970年代後半に議論になり、そこから約25年かかって、現行憲法の第9条の解釈ともすり合わせながら成立への運びとなった。

国民保護法は、正式な名称のアタマにあるとおり、「武力攻撃事態法」(=「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」)とセットになっている。

武力攻撃事態法は、国民保護法の成立に先立って、イラク戦争が起きた年の6月に成立した。

当時、イラク戦争の強行開戦に踏み切ったアメリカは、反対派の中国やロシアから非難された。

次は、ロシアがクリミア併合で非難され、ウクライナ侵攻を行った。

今度は、第三の大国の中国の動向を、私たちは注視せざるを得なくなっている。

というわけで、今週は国民保護法の解説を1週間行うので、ご期待ください。








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