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3つの再生方法:「猪鹿蝶」、縁起がいいに決まってる!

図書館で借りるのが2回目の、この本の冒頭の写真に、これまで見たことのない土器がありました。

『縄文社会と弥生社会』設楽博己(敬文舎)
イノシシの顔がついた縄文土器(群馬県安中市 中野谷松原遺跡出土)

なにかの動物の顔がいっぱいで、うれしくて楽しい感じです。

上記を一部拡大。口がとんがってて丸い鼻の穴のイノシシ

イノシシの顔がついた縄文土器(群馬県安中市、中野谷松原遺跡出土)

 およそ六千年前の縄文前期後半の関東地方から中部高地地方で、イノシシの顔を持つ土器がさかんにつくられた。イノシシを表現したのは、縄文人がもっとも好んで狩猟した動物であることに加えて、一度に子どもを何頭も産むからであろう。狩猟動物の首位を分け合うシカが造形の対象にならないのをみると、縄文人はイノシシの強い生命力に豊穣の祈りを込めたと推測できる。
 弥生時代になると、逆にシカが土器などにさかんに描かれた。シカの角は春から夏に成長して秋に落ちるが、翌春また生えてくる。弥生人はそのサイクルをイネの成長と同一視して、シカを信仰の対象にしたのだろう。狩猟から農耕へと自然に対する取り組み方の変化に応じて、信仰の対象も変化したことがわかる。

『縄文社会と弥生社会』設楽博己(敬文舎)


縄文の「イノシシ」と、弥生の「シカ」。

一度に子どもを何頭も産むイノシシは、爆発的な量の豊かさを象徴し、
一方、毎年きまって角を再生させるシカは、安定的な永続性を象徴。

たくさん」から「なんども」へ、
強さ」から「繰り返し」へ

縄文文化に弥生文化が重なって、豊かさをもたらす尺度が、「量」に加えて「回数」も、というように複合的になって行ったことが興味深いです。

また象徴のされ方についても、イノシシはイノシシ自身が生命力があるので、見て直ちにわかりますが(直接的)、一方のシカの場合はシカとイネの間に直接的は関係はありません。
たとえ稲の発育のサイクルのことを知っていたとしても、「それがどうした?」なのですが、日本の古代人は「似ているもの」「シンクロするもの」が大好きですから、「稲を稔らせる力」と同じものを鹿の中に見出して、きっと嬉しくなったのでしょう。
直接から間接へ、思考が一段抽象的になったともいえるのですが、そうなってしまうと、身の回りの自然のあちこちにシンクロするものが溢れていることに気がつきだして、どんどん言葉も増えて行ったのだと思います。

そしてさらに毎年毎年、稲の生育のサイクルに何度も触れるうちに、人々の心の中に時間の流れが意識されるようになって、そこから「未来」とか「予定」とかが思考されるようになったのかもしれません。
「明日」を思ったり、過去のことを思い出したりして、それを「昔」と認識できるのって、考えたらすごいことですね。

春日神鹿御正体 南北朝時代 14世紀
(特別展『春日大社 千年の至宝』東京国立博物館 2017年)

こんな風に、ゆっくりゆっくり時間をかけてだんだんと、現時点・現場だけから、未来や過去、彼方のような「見えないもの」へと思考の範囲が広がって行ったのでしょう。

ところで「猪鹿」「イノシカ」といえば、『NARUTO-ナルト-』の木ノ葉の第十班の「イノシカチョウトリオ」。

NARUTO -ナルト- 37巻 表紙より

・奈良シカマル
・山中いの
・秋道チョウジ

このトリオは花札の「猪鹿蝶」から来ていますが、これがまた、ロイヤルストレートフラッシュのような最強の役。
チョウジの「チョウ」ってなんだろうと思ったら、「蝶」なのですね。

それにしてもどうして蝶が、猪と鹿に一緒になっているのでしょう。

もしや、「再生」の方法がキーになるのかも。と、
ならべてみると、

猪は、たくさん再生する
鹿は、なんども再生する
蝶は、別ものに再生する


別もの、すなわち相転移とは「術」のようで、なんともNARUTOっぽい。
そうだ、蝶の蛹(さなぎ)は、銅鐸の鐸(さなぎ)でした。
弥生時代から古墳時代へ差し掛かる頃にさかんに作られた銅鐸のことを、当時の人々は、「さなぎ」と呼んでいたのです。

蝶は、蛹(さなぎ)となって、幼虫から成虫へ完全変態(トランスフォーム)しますので、猪も鹿も持ち合わせていない、量や繰り返しを超越した「特別な力」を、そこに感じていたのかもしれません。

また、絹を生み出すお蚕も蛹(さなぎ)。
NARUTOのチョウジが大食いなのは、サナギになる前に、青虫がせっせと青葉をとにかく食べる姿をうつしているのかなぁ。


茨城県常陸大宮の養蚕農家にて 2017.6
(春繭のプラチナボーイ) 




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