3つの再生方法:「猪鹿蝶」、縁起がいいに決まってる!
図書館で借りるのが2回目の、この本の冒頭の写真に、これまで見たことのない土器がありました。
なにかの動物の顔がいっぱいで、うれしくて楽しい感じです。
縄文の「イノシシ」と、弥生の「シカ」。
一度に子どもを何頭も産むイノシシは、爆発的な量の豊かさを象徴し、
一方、毎年きまって角を再生させるシカは、安定的な永続性を象徴。
「たくさん」から「なんども」へ、
「強さ」から「繰り返し」へ
縄文文化に弥生文化が重なって、豊かさをもたらす尺度が、「量」に加えて「回数」も、というように複合的になって行ったことが興味深いです。
また象徴のされ方についても、イノシシはイノシシ自身が生命力があるので、見て直ちにわかりますが(直接的)、一方のシカの場合はシカとイネの間に直接的は関係はありません。
たとえ稲の発育のサイクルのことを知っていたとしても、「それがどうした?」なのですが、日本の古代人は「似ているもの」「シンクロするもの」が大好きですから、「稲を稔らせる力」と同じものを鹿の中に見出して、きっと嬉しくなったのでしょう。
直接から間接へ、思考が一段抽象的になったともいえるのですが、そうなってしまうと、身の回りの自然のあちこちにシンクロするものが溢れていることに気がつきだして、どんどん言葉も増えて行ったのだと思います。
そしてさらに毎年毎年、稲の生育のサイクルに何度も触れるうちに、人々の心の中に時間の流れが意識されるようになって、そこから「未来」とか「予定」とかが思考されるようになったのかもしれません。
「明日」を思ったり、過去のことを思い出したりして、それを「昔」と認識できるのって、考えたらすごいことですね。
こんな風に、ゆっくりゆっくり時間をかけてだんだんと、現時点・現場だけから、未来や過去、彼方のような「見えないもの」へと思考の範囲が広がって行ったのでしょう。
ところで「猪鹿」「イノシカ」といえば、『NARUTO-ナルト-』の木ノ葉の第十班の「イノシカチョウトリオ」。
・奈良シカマル
・山中いの
・秋道チョウジ
このトリオは花札の「猪鹿蝶」から来ていますが、これがまた、ロイヤルストレートフラッシュのような最強の役。
チョウジの「チョウ」ってなんだろうと思ったら、「蝶」なのですね。
それにしてもどうして蝶が、猪と鹿に一緒になっているのでしょう。
もしや、「再生」の方法がキーになるのかも。と、
ならべてみると、
猪は、たくさん再生する
鹿は、なんども再生する
蝶は、別ものに再生する
別もの、すなわち相転移とは「術」のようで、なんともNARUTOっぽい。
そうだ、蝶の蛹(さなぎ)は、銅鐸の鐸(さなぎ)でした。
弥生時代から古墳時代へ差し掛かる頃にさかんに作られた銅鐸のことを、当時の人々は、「さなぎ」と呼んでいたのです。
蝶は、蛹(さなぎ)となって、幼虫から成虫へ完全変態(トランスフォーム)しますので、猪も鹿も持ち合わせていない、量や繰り返しを超越した「特別な力」を、そこに感じていたのかもしれません。
また、絹を生み出すお蚕も蛹(さなぎ)。
NARUTOのチョウジが大食いなのは、サナギになる前に、青虫がせっせと青葉をとにかく食べる姿をうつしているのかなぁ。
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