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『外套』

『外套』
ゴーゴリ著

主人公は、まじめな、クリスチャンで下級役人のアカーキイ・アカーキエウィッチ。ツギハギだらけの上着を補修しようとしたのだけど、高額の外套を買うことになって、人生で初めて、喜んでいた。お披露目パーティーの帰り道で、外套が、引ったくられてしまう。悲しみにくれているうちに、病気になって死んでしまう。そして、幽霊となって復讐するという話。

格好ばかりで、何もしない高級官僚を批判した文学ということなのだけどね。

ロシア文学での外套は、人間の自我や尊厳、社会的地位などを象徴すると言われている。

外套を奪われるということは、自我、尊厳やら、社会的地位を奪われるということになるらしい。

まじめなアカーキイ・アカーキエウィッチは、初めて、外套という名誉を手にしたのに、奪われてしまう。頼みの警察のお偉いさんは、ふんぞり帰って、まったく、頼りにならない。そんな社会に絶望して、死んでしまうのだけど、、幽霊として、舞い戻ってくる。そして、街じゅうの外套と奪って回る。最後に奪ったのは、高級官僚の外套。そうすると、面白いことに、幽霊の外見が、高級官僚の姿になって物語は終わる。

この物語は、ロシア文学の先駆けとなったようで、ドストエフスキーは「我々は皆ゴーゴリの『外套』から生まれ出たのだ」と言ったと伝えられている。

庶民の人生を搾取して、高級官僚は生まれるのだってことなのだろうなあ。一方で、外套という、地位の象徴的な物を手にして、それが、キリスト教的には、肉的な欲望に向かうきっかけになっているということなのかもしれないと思った。

なかなか、興味深いものだと思った。

聖書のヨブ記を思い出した。
ヨブが自分の財産と子どもたちを失った後に、言う言葉。

「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほむべきかな。」

与えられることも、奪われることも、神様の御手に委ねるのが、基本だよってことともゴーゴリが敬虔なクリスチャンだったらしいので、思えるのだけどね。

官僚も、ロシア正教も腐敗していたのだから、いろいろな意味がこめられているのかなあとは、思った。

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