ベンチャーとしてのコロンブス航海 事業展開の夢と現実(2/2)
「ベンチャーとしてのコロンブス航海1/2」 からの続き。コロンブス航海を、現代のベンチャー起業みたいな目線で見てみました。
王室との戦略的業務提携としてのサンタ・フェ契約
1492年4月17日、グラナダ郊外のサンタ・フェにて、コロンブスは王室と「サンタフェ契約」を締結した。今風にいったら、大企業とベンチャー事業の戦略提携契約のようなものか。
まあ、大企業側である王室は航海にお墨み付きをあたえるだけで資金供与はしないので、今風に言ったら、ベンチャー起業としたら、許認可業務である航海の許認可を与えてもらう代わりに、こちらが資金ならびに事業リスクを取って航海プロジェクトを行いますので、成果としてでてくるであろう植民地事業についてかなり多大な部分をベンチャー側にくださいという内容。なんと、コロンブスくん、スペイン王室に謁見できてから6年間、ほぼ同じ内容を断固として変えずに要望していて、その大胆な要求が通ってしまった。
その内容は、
・コロンブスは発見された土地の終身提督となり、この地位は相続される。
・コロンブスは発見された土地の副王・総督に就き、各地の統治者は候補三名をコロンブスが推挙しその中から選ぶ。
・提督領から得られたすべての純益のうち10%はコロンブスの取り分とする。
・提督領から得られた物品の交易において生じた紛争は、コロンブスが裁判権を持つ。
・コロンブスが航海において費用の1/8を自分で負担する場合、利益の1/8をコロンブスの取り分とする。 (Wikipedia)
統治権(会社の会長ポジション?的な提督)と統治者の任命権、そして純益10%の取り分を自分にください。さらに、裁判権もこっち、更なる新規事業(将来の航海)での「増資」は1/8(12.5%なので10%より多い)の枠をこっちにもらってその事業の1/8を取り分とする、というもの。
これらは今のベンチャー出資とかの条件とは比べにくいが、法外にアグレッシブに要求してそれが通った、彼にとって願ってもない好条件達成であったといえる。
以前ポルトガル王室は利益1割シェアは過大とつっぱねていた。この諸条件、よくも王室が許したものである。イサベラ女王が外国人のこの傲慢な提案を受け入れたことについて、「コロンブスの全航海の報告」の著者の林家氏はこう書いている。
「(コロンブスの)態度には普通王室に援助を求めに来るものが有する卑屈な態度はみじんも見られ」ず、「賢明なイサベル女王は、この態度の中に、その言が決して冒険家の単なる大風呂敷でないことを洞察したに違いない」。
林屋氏は、植民地の金銀、香料などの10分の1をよこせ、世襲の提督などの地位を約束するというのは、「身許もさだかでない一外国人に付与するなどということはありえない条件だった」ともコメントしている。
ふむふむ、ベンチャー起業家諸君、これ、本当に自信のある新事業と思うなら、条件は高飛車に出ていいという教えか。ぴかぴかの大企業でも、断られたら縁がなかったくらいに思っておけばいい。コロンブスのようにそれがあなたにとって一生に一度の勝負であるなら。
そういえば去年、マレーシアで創業五年目だが外部のエクイティ資金をまったく入れずにやってきたという孤高のベンチャーに出会った。こういう自己資金だけで立ち上げるのを、ブートストラップ、靴ひも式というらしいが(あたかも靴紐をたすき掛けにして結んでいくように自分たちで資金繰りをつないでいくということか)、プロジェクト毎に頭金をもらったり、中小企業向けの低利ローンを借りたりして、うまく回していた。安易に外部資金に頼らず、どうにか自分たちでまわしていくというのも有りだと思う。一方で、こうしたコロンブスみたいな一世一代の資金動員ありきの大企画もあって、彼は、自分の構想を安売りせず、辛抱強く提案しつづけた。多大な要求はあくまでも成功した暁のものだったが、サンタンヘルがうまく王室に説明して、奇跡的に通した。おそらく、能吏サンタンヘルがこれは王室にもWin-Winの話ですよと説明したお陰で実現したのだろう。根回し?して、提携先の企業の金庫番や番頭さんの信任を得るというのは、社長に認められること以上に大事という教訓か。
シード投資ラウンドとしての初回航海資金動員
航海の経費は、財務官サンタンヘルが奔走していろいろなところから調達。「警察機構サンタ・エルマンダーの経理担当のジェノヴァ人ピネリと協力して140万マラベディを、さらにアラゴン王国の国庫から35万マラベディを調達しコロンブスに提供。コロンブスは25万マラベディを調達したが、これはメディナ・セリ公やセビリアのフィレンツェ人銀行家ベラルディなどから借金をしてかき集めたものだった」(Wikipedia)。
イサベラのカスティーリャ王室のプロジェクトなのに、サンタンヘルくん、なぜかイタリア商人コネクションの総動員。自分が財務担当のアラゴン王国の国庫からも出してる。
調達額計200万マラベディ(1.2万マラベディが今の9万円ほどという記載があったので、約1500万円くらいか): (サンタンヘル)警察機構サンタ・エルマンダー140万マラベディ 70% (サンタンヘル)アラゴン王国の国庫から35万マラベディ 17.5% (コロンブス)借金で25万マラベディ 12.5%
今風にいえば、サンタンヘルくんがリスク資金を7/8動員、コロンブスくんが個人保証で借金して1/8を出資したという感じか。創業者が12.5%というのは企業の資本政策としては低すぎとおもうが、まあ、これは株主構成ではなくて初回航海の資金調達であって、また、コロンブスもあわよくば提督になれたりするのでこれくらいのものか。
三隻で船乗り計100人くらいの航海プロジェクトのコストが今の金で1500万円くらいというのは多いのか少ないのかよくわからないが、サンタンヘルが、よっしゃ、俺が集めてやると思ったくらいの金額であったのかもしれない。言い出しっぺのコロンブスにも1/8を借金させながらも出資させているのは、サンタンヘルさん、キャピタリストとしてなかなか創業者を甘やかさない、甘くない。
スペイン異端審問(Spanish Inquisition)とユダヤ系商人たち
ここで、ちょっと話がそれるが、時代的背景として、700年続いたムスリム勢力の支配からイベリア半島を奪回する「レコンキスタ」運動が1492年1月のグラナダ陥落をもって終了したことが、スペイン王室をしてこうした航海への支援の余裕を生んだということがあった。また、敬虔なカトリック両王は、イベリア半島におけるカトリック以外の異端審問を強化していったことも大航海時代の訪れになにか関係があったとする意見がある。
異端審問(Spanish Inquisition)は、日本の踏み絵、磔つけのような、アメリカの赤狩りのような、偏執的で残酷な、スペイン史の闇の部分でもある。王室がユダヤ人商人からの借金を帳消しにさせようとした背景もあったとも言われる。
林家氏の著書に、コロンブス自身がユダヤ教からの改宗者(コンベルソ)の商人だった可能性が書かれている。サンタンヘルを主人公とする小説では、まさに彼がコンベルソだったことからくる苦悩や愛、新天地を夢見るコロンブスへの協力の背景として描いている。異端審問が激化する流れのなかで、ユダヤ教徒のみならず、今はカトリックとして生活しているコンベルソ達にも様々な圧力がかかっていったのはたしかである。
細かいが面白いので、その推測、まずコロンブスについて。
スペインでははスペイン語風にクリストバル・コロン(ちなみにコロンブスはさらに英語化した名前で、イタリア語ではクリストファーロ・コロンボ。あの刑事コロンボと同じ)と呼ばれているが、林家氏の解説によるとそこにはまだ完全に解明されていない深い謎があると。
クリストバル・コロンは本人がスペインで自ら名乗っていた名前。「かつての先祖の姓を名乗ることとした」との彼の家族による記載があるという。
当時のカスティリャ王国には、ディアスポラで世界に散らばったユダヤ人が居住していて、コロンという姓のユダヤ人がいたという。14世紀にカスティリア王国にいたコロンブスの祖先のコロン(Colom)がジェノバへ移住して現地の姓のColombo(イタリア語で鳩)に改称した可能性はある。そうだとすると、コロンブスがジェノバのスペインに縁のあるユダヤ系商人だった可能性で、そのジェノバでの名前のコロンボを、スペイン語では「かつての先祖のコロン」として名乗ったという可能性。コロンブスはじつは元ユダヤ教のファミリーのコンベルソ(改宗者)であったのではないかということで、新しいことに挑戦した背景に、そうした複雑な出自があったのではないかという説。
ルイス・デ・サンタンヘルについては、いろいろ調べてみたが、改宗して何代か目のコンベルソであったのは定説らしく、その他については私が探した範囲ではあまり史実としての情報はなく、唯一、アメリカ人著者による彼を主人公にした "By Fire, By Water"(Kaplan, M)の長編小説があったので、こつこつ読んでみた。
この本は、正直あまりおすすめでない。中世を舞台にしてせいかあるいは作者の趣味なのか、英語の表現振りが大袈裟で読みにくいし、全体が長い。和訳もでていない(たぶんこれ、今後もでないだろう)。ストーリーもラブストーリー仕立てにしていてあまりおもしろくないが、コンベルソとしてのサンタンヘルの苦悩についてはよく描けている点はおもしろかった。
先代がとっくの昔にカトリックに改宗していて自分はカトリックだと思っていたが、ユダヤ教の未亡人と恋に落ち(これまったく創作)、反ユダヤの宗教裁判官との争いに巻き込まれてしまう。そんな中で出会ったコロンブスの新たな航路の夢と新しい発見(新大陸ということでなくて新たなインド航路で発見される島々)に思いを巡らし、しがらみにがんじがらめになった自分を嘆きながらも、コロンブスへの支援に自分の夢を託す。
核融合的な馬鹿力が必要なベンチャー立ち上げにも、こうした込み入った出自の人こそ逆に社会の逆風に逆らって頑張ってチャレンジする、というのに現代にも通ずるものがあると思う。
第1回航海(1492-1493)と凱旋帰国
1492年8月3日、大西洋をインドを目指して中型帆船のニーニャ号とピンタ号とサンタ・マリア号の3隻で総乗組員数は約90人(120人という説もあり)でパロス港を西へと出航した。
だんだん西へと、初めての航路を進めるにつれて、コロンブスは平気な振りをしていたが、計算を越えて長い航海となってきたことに実は不安を感じるようになっていた。彼は、わざと航海距離を短めに記録するなど姑息な手もつかいながら、乗組員の不安を抑えようとしている。なにせアジアまでの距離を4000キロ弱とみていたコロンブス、スペインからエスパニョーラ島あたりまでだけで7000キロはあるので。
10月6日には小規模な暴動が起こり、3日後には船員の不安は頂点に達し、コロンブスに迫って「あと3日で陸地が見つからなかったら引き返す」と約束させたが、その後、流木などを発見し、コロンブスは、陸が近いぞと船員を説得する。そしてあとちょっとで引き返さないとまずいとなったころ、やっと、最初の島、サンサルバドル島にたどりつくと、まもなく、彼がインド大陸?だと思った、今のドミニカ共和国とハイチがあるエスパニョーラ島上陸となる。運がいいな、コロンブス。ベンチャー会社運営でも、運も大切。運がよかった人が生き残っているというのも事実。
ちなみに、中世では地球が平らだと広く信じられていたところへコロンブスは球体説を信じて船出したというのはあまり正確ではなくて、あとで作られたお話だという。既に球体説は広まっていた。たぶん、有名なコロンブスの卵の逸話も、つくり話か。
ついに「西インド」を発見したと、コロンブスは大興奮している。最初にスペインに宛てた書簡は、大恩人のサンタンヘルへの書簡。盟友に感謝しながら、長々と自らの偉業について綴っている。
実のところ、目論見に反して、おもったより黄金やインドにあるような香料などが見当たらなかったが、コロンブスはその他のカスティーリャの支援者たちへの書簡で、いろいろと言い訳・楽観論を書き綴っている。金銀財宝がこれからぞくぞくでてきますよというような。あたかもベンチャー企業創業者が、最初は計画がずれこんで目標達成が遅れていても投資家に業績心配ありませんと説得しているようで面白い。ちょっとの遅れで心配していたら、大きな仕事は達成できないよということか。
年が明け、1493年1月6日にピンタ号と再び合流、1月16日にスペインへの帰還を目指し、3月15日にスペインのパロス港へ帰還した。7ヶ月の旅の後、英雄としてのすばらしい凱旋帰還だった。
帰還したコロンブスを歓迎して宮殿では盛大な式典が開かれた。サンタフェ契約に従い、コロンブスはインディアンから強奪した金銀宝石、真珠などの戦利品の10分の1を手に入れた。また別途、陸地を発見した者には賞金がカトリック両王から与えられることになっていたのだが、最初に陸地を肉眼でみた船乗りではなく、コロンブスは自分が先に発見したと言い張り、これをせしめている(コロンブスくん、細かい)。
このニュースはすぐにヨーロッパ中に伝わり、全ヨーロッパが新世界の発見に興奮して新しい時代に夢を馳せたという。国王に調査報告を終え、少しばかりの援助を求めたコロンブスは、次の航海目標としてこう述べている。
「彼らが必要とするだけのありったけの黄金…彼らが欲しがるだけのありったけの奴隷を連れてくるつもりだ。このように、永遠なる我々の神は、一見不可能なことであっても、主の仰せに従う者たちには、勝利を与えるものなのだ」。最初のビジネスのマイルストーン達成で、意気揚々のコロンブス、夢は膨らむ。
そんな折、また時代が彼を助ける。1493年、スペインとポルトガルは「トルデシリャス条約」を締結。ヨーロッパの西沖のアゾレス諸島の西100リーグの分界線を定め、東側をポルトガル、西側をスペインとした。ベンチャーでも対象市場で競合と棲み分けがうまくできたようなものか。
スペインはこれによって、新大陸を探検し植民する独占的な権利を手にした。折からの世の中の関心の高まりによって、コロンブスは2回目の航海の資金を難なく作ることができた。
2回目以降の航海の資金調達: シリーズB?
シリーズBというのは、ベンチャー企業がシードやシリーズAという、どちらかというと身内からの資金調達の後、さらに、製品を大量生産して会社を本格的に成長させるときに必要な資金の調達のことを一般に指す。簡単に「本格的な成長のための資金」と呼べばわかりやすいものを、業界用語だなあ。
あたかも開発の末に最初の実用化製品を世に送り出した後に商業化の道筋がみえてきたベンチャーのように、航路の発見で、さらにアジア航路について大風呂敷を広げる順風満帆のコロンブスのシリーズBのファンディングは、とてもスムーズであった。
金額など詳細の情報がなかったが、2回めの航海は17隻の船、船員は1500人。かなりのパワーアップである。規模は初回航海の10倍以上。
今度こそ、アジアの大陸上陸で、金銀、香辛料の山を探し当てるぞと意気込む。
第2回航海は、まずは、前回発見したエスパニョーラ島(今のハイチ・ドミニカ共和国)に寄って、島を制圧して、街を築いて、提督コロンブスは弟のバルトロメをエスパニョーラ島総督に任命して統治させることにする。それが終わると、探検家コロンブスは、飽くなき探索の旅をカリブ海でこなして新たにいくつかの島を発見して、またエスパニョーラ島経由でスペインへ帰還。
このシリーズBファンディングに支えられた飛躍期であったはずの第2回航海で、コロンブスくんは、いくつか過ちを犯している。
まず、任命権を行使して弟をエスパニョーラ島総督にしたこと、そして、金銀・香辛料がなかなかみつからない中で、王室によかれと思って、現地のインディオ達を奴隷としてスペインに送ったこと。
詳細よくわからないが、弟の統治は評判が悪かった。コロンブス家の力が増大することへの危惧も当然あっただろうし、王室やスペインの支配層からしたらもっと適任がいるだろうと思っていたかも知れない。ベンチャーで、人望があまりない親族を子会社の社長にして任せてしまったというような失敗。
そして、奴隷化のつまずき。コロンブスは王室に27か条にわたる新たな植民地での提案をしているが、ほぼすべてを王室は承認。ただし、原住民の「奴隷」化については教会にも相談した王室はイエスとは言わなかった。コロンブスくん、せっかく敬虔なイサベラ王女の信心にも訴えかけて、キリスト教布教のためと資金動員したのに、どうしたんだろう、判断ミス。
第2回航海は3年の年月をかけたが、黄金も大してみつからず(砂金がちょっと出ただけ)、期待のアジアのジパングやキャセイ(中国)へもたどり着けず、香辛料も見つからず。第1回航海からの凱旋の熱気も、だんだん冷めてきてしまう。
その後、ベンチャーの凋落?晩年の不遇?
その後、航海3回目は、許可がおりるまで2年を要した。1498年5月、6隻の船で航海に出る。船は船員だけでなく、植民地に必要な人材が乗り込んでいた。今回は南よりの航路をとり、現在のベネズエラのオリノコ川の河口に上陸した。
その膨大な量の河水が海水ではなく真水であったことから、それだけの大河を蓄えるのは大陸であるということをコロンブスは認めざるを得なかったという。しかし彼は、最期まで自らが発見した陸地を、アジアだと主張し続けたという。これは大陸でアジアなんだが、ジパングとかインドとかはもっと内陸なんだと。
その後、北上してサントドミンゴに着くと後を任せていた弟バルトロメの統治の悪さから反乱が起きていた。コロンブスは説得を続けるが、入植者たちはこれをなかなか受け入れず。一方で、捕らえたインディアンを奴隷として本国に送るが、イザベル女王はこの奴隷を送り返し、コロンブスの統治に対する調査委員を派遣した。コロンブスは1500年8月に本国から来た査察官により逮捕され、本国へと送還された。罪に問われる事は免れたものの、すべての地位を剥奪される。王室は、コロンブスの無罪を確認するが、能吏を新たなエスパニョーラ島総督に任命している。
巨額の成長資金を得て事業拡大中のベンチャーで、創業社長の弟が社長の子会社で内紛が起きて、創業社長も事業上で大きなミスを犯して、VCから解任されそうになり、創業社長は追放はまのがれるが、弟は役職を解任され、新たにVCからおくられた人物が社長に。創業社長コロンブス、起業スピリットはあったが、事業経営の才はなかったか。
でもコロンブス、あきらめない。アジア大陸を発見したとの確証を得るため航海を企画し続ける。4度目となる航海は、王からの援助は、小型のボロ舟4隻で乗組員140名と初回航海程度。1502年に出航したが、エスパニョーラ島への寄港は禁じられており、パナマ周辺を6か月さまよったが、最後は難破して救助され、1504年11月にスペインへ戻った。成果はなし。
その後何度も、もう50代になった、当時でいったら初老のコロンブスは諦めず航海を企画するが、1504年末に頼みのイサベル女王が病気で死去し、スペイン王室はコロンブスに対してさらに冷淡になってしまう。
その後、コロンブスは、痛風発作がでて病気になり、1506年、スペインのバリャドリッドにて死去。その遺骨はセビリアの修道院に納められ、その後1542年に名誉あるサントドミンゴの大聖堂に移された。
たしかWikipediaだったか、他の本の記述だったか、計4回実施されたコロンブスの航海ベンチャーの偉業はだんだんと不幸な運命をたどって迷走したとして、最後は、コロンブスは、不遇の中で人生にピリオドを打ったというような締めくくりかたをしていた。
アジア大陸ではなかった「新大陸」も、「コロンブス大陸」と命名されることもなく、別のイタリア人の航海者アメリゴ・ヴェスプッチの名が地図に記されたことから、ヨーロッパでは「アメリカ」という名称が定着してしまう。当初は地図に名前すら残らなかった。
コロンブス的なもの・サンタンヘル的なもの
コロンブスの最期は、本当に、「不遇の晩年」で死んでいったのだろうか。そりゃ、10年越しの夢の資金調達努力が実り初の航海で新大陸を発見し凱旋したのをピークに、だんだんすべてがうまくいかなくなる。一方で、支援者のスペイン王室は新大陸発見でこれまでにない栄華を手にする。コロンブスのものだった事業が乗っ取られてしまったように。自分のつくった会社から追い出されてしまった社長のようでもある。
さぞかし、痛風にもなった(私事、去年初めて発症。あれは痛い)50代のコロンブスは、酔っ払ってバールでくだまいては、「俺をだれと思ってる?あの西回り航路発見のコロンブス提督とは俺のことよ。あの故イサベラ女王が信頼をおいた冒険者なんだぞ」とぶつぶつ、不遇の日々を送っていたのではないかと。
いや、それは違うな、と思う。そう想像する。
想像するのはこんな場面から。
第1回航海の後、コロンブスはサンタンヘルと祝杯をあげて、「俺の企画と、お前の奮闘で資金が動いて、偉業が実現した。ヨーロッパ中が興奮している。こんなすごいことはない」としみじみ。でも、「やっぱ、あれアジアじゃないよな。ここだけの話、新大陸っぽい、今更そんなこと言えないけど」。サンタンヘルが「いいよいいよ、アジアということで突っ走ろう。王室は俺がどうにかする。おかげで俺も報奨もらったし。Win-Win。この流れにのってもっと凄い航海やろうよ」。
それでサンタンヘルも継続支援はするんだが、時は、スペイン異端審判の時代、コンベルソの彼らに対する風あたりは強く、成功に対する妬み、裏切りも多々あって、なかなか物事はうまくすすまない。が、そんなことで挫ける二人なら、そもそも長年かけて夢の実現まで努力してなかった。サンタンヘルの名前は歴史からはその後消えてしまったようだが、二人ともしたたかに最期まで燃え尽きたんじゃないだろうか。
晩年、コロンブスは「俺の人生、楽しかったな。とてつもないチャレンジにかけて、若い頃それが実現できた。あの後いろいろあったけど、またやれといわれたら、また同じことをやるよ」と笑う。おそらく異端審判を逃れてエスパニョーラ島あたりに偽名で入植した(これまったくの私の想像)盟友サンタンヘルも、「コロンブスくん、君のおかげで僕もいい夢をみせてもらったよ」とか密かに感謝していたり。
夢の実現のために異国の地で一生をかけたコロンブス、その支援で資金調達に奔走したサンタンヘル、それに応じて資金投下した人たち、このベンチャーから彼らはそれぞれそのリスク・テイクからどんな果実を受けることができたのか?現代の会社のIPOやその結果の時価総額みたいに、創業メンバーがいまや何千億、何百億円の資産家になったとかの評価はできない。でも、すくなくとも、彼らが、その後の世界を大きく変えていく新大陸発見という壮大な歴史的ベンチャーの担い手だったというというのは確かであった。それを胸に死んでいったとすると、不遇の晩年の死なんて言わないで欲しい。
最期に、蛇足ながら、私がおもしろくないと酷評したサンタンヘルを主人公にした小説 "By Fire, By Water" から、「コロンブスの人生の信条」について書かれたところで、起業家魂のような、非常にいい文章があったので、ここで引用して拙訳しておく。
「運命が与えてくれるものをうけとめて、幸せに人生を歩む人たちがいる。自らの果樹畑の実を集めることに集中して、隣の敷地に足を踏み入れることなく、隣家の果実を羨むことなく。一方で、運命を疑い、運命を敵としてみなす人たちもいる。運命がふんだんにあたえてくれるものには価値を見いださず、運命が出し惜しみしているものを切望する。その思いを満たすため彼らは運命に対して燃えるような戦いをする。ときに彼らは成功するが、多くの場合、夢に敗れて死んでいく」 Kaplan, Mitchell James. "By Fire, By Water"
Some men blithely stroll through their lives, accepting what Destiny offers, like farmers gathering fruit in their orchards, not looking off into neighboring properties or envying their yield. Others view Destiny with suspicion, as an adversary. What she freely offers, they value little, while what she withholds, they covet. To satisfy this desire, they will fight Destiny with ardor. Occasionally they succeed; more often they die disenchanted.
Kaplan, Mitchell James. "By Fire, By Water"
参考
林家永吉「コロンブスの全航海の報告」(岩波文庫)
クリストファー・コロンブスの項(Wikipedia)
Kaplan, Mitchell James ”By Fire, By Water"
(タイトル画はサンタンヘル肖像画)
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