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日本の歩き方#43新潟県糸魚川市→富山県入善町

徒歩日本縦断43日目

朝4:30起床。こんなに早いのは北海道から恐れていた地、親不知を早く抜けたかったからだ。

親不知はどんな場所なのか?それは親不知の名前の由来から見いていこう。

もちろん、今の道はトンネルもあり、断崖絶壁で落ちそうになるくらい大変な通りではない。

しかし、20kmに渡って断続的に続くトンネルはリヤカー付きの歩きニストとしては大変な道だ。

加えて、歩道の狭さだ。人1人がようやく入れるくらいの歩道の狭さだ。もはや歩道ではない。

というわけで、車通りの少ない、朝の時間帯に通り抜けれるのが最も危険が少ないのではないか。そう思い、朝5時に昨日お世話になった、相馬御風の分家の方の自宅を出発することに。

やはり別れ際が寂しい。お酒を片手にもっと2人の話が聞きたかった。

気さくで優しいお母ちゃんと、笑顔が素敵な元気なおばあちゃんと離れて次の旅へ。

最後にお母ちゃんとパシャリ。

『おみちよう』

最後にお母ちゃんが言ってくれた。

糸魚川弁で、『道中気をつけて』の意味らしい。

糸魚川から親不知に仕事で通る人が多いから生まれた言葉だからだろうか。

一般的な意味で『道中気をつけて』というよりも力強く言葉が突き刺さる。

その土地ならではの方言に、思いを寄せてみると、筆舌に尽くしがたい言葉の力がある気がする。

さあ、行こうか。

数日間だけの相方とともに歩き始めた。

そうだ、まだ彼のことを紹介していない。

彼と合流することになったのは本当に突然だった。

『旅、同行させてください。よろしくお願いします!』

と、ツイッターでメッセージが来た。

いや、お前誰やねん!!と思ったが、一緒に行くことにした。おもしろそうだからね。

話を聞いて驚いた。大学生かと思っていた彼は浪人生だったのだ。

まあ、彼もいろいろあるのだろう。俺も二浪して早稲田に入ったので、浪人のツラさは何となくはわかる。

しかし、踏み込むべきではないところは、踏み込まない。ひとりの人間として、『旅人』として接しながら歩くことにした。彼が歩むこの旅が、彼自身へのエールになればいいなと祈りを込めて。

9月もど真ん中に差し掛かる新潟の朝は、秋真っ只中の匂いがする。

そこには夏の面影が一切なく、夏を懐かしく想いたくなるほどだ。

しかし、日が昇ると、まるで秋を破壊していくかのような、暴力的なまでに夏が帰ってくる。

「来ーちゃった。(テレペロ)」と、遠距離恋愛中の彼女が、サプライズで我が家に訪れたかのような、驚いても驚き足りないあの感じよ。 The 青天の霹靂。"The"をつけたくなる。

物思いに耽っていたあの時間を返してくれ。でも帰ってきてくれてありがとう。夏。

歩き進め、ついに、断続的トンネルシリーズのトップバッターがやってくる。

窓付きのトンネルはありがたい。光があるだけで、心のゆとりが保てる

トンネルに入っては出て、入っては出てを繰り返す。さすが断崖絶壁の親不知、景色は崖だからこそ美しい

しかし、歩道とは言えない歩道が歩き二ストの不安を煽る。

こんな道を何度も進む。しかもグネグネと曲がったトンネル。

そしてついに事件が起こる。

オバサマが乗っていた車と、その曲がりくねった道の先にいたリヤカーを引っ張る俺とが接触寸前になったのだ。その距離わずか30cm。

猛スピードで近づいてくるオバサマのアルトワークスを眺めていた時間。それはそれはゆっくり時が流れた。時が止まってしまうような、その絶望的な時間の中、俺は死を覚悟し、心の中で今まで迷惑をかけた人全員に謝り、遺言を唱えていた。衝突スレスレ前後わずか0.2秒の時間の間に。

人は死を覚悟する瞬間に立ち会うと、時がゆっくり流れるのかもしれない。良い教訓になった。

トラウマになりかけたトンネルの先を先を進む。

『早く終われ早く終われ』そう心で唱え続ける。心拍数は上がり、緊張の糸が弛むことはなかった。

ようやく親不知最期のトンネルをくぐり抜けると

そこには絶景が。

こんな絶壁沿いを歩いていたんだ。改めて、すごい道を歩かされていたこと、そして、道路が整備されていなかった頃の先人が恐れていた理由がわかった気がする。

歩ききった安堵感を、たしかなものだと噛み締めさせるために、神が美しい景色を最後に用意したんだろう。

山を下ると、市場を発見した。ヒスイを売ってるるしい。ヒスイは、深緑の半透明な宝石の一つで、海岸などで拾える

糸魚川ではヒスイが多く取れる。見つかる種類の数は日本一らしい。さらに、縄文時代から、ヒスイの加工をここではやっていて、勾玉などを作っていたらしい。

クレヨンしんちゃんのボーちゃんは石集めが好きだが、ボーちゃんだけでなく、男の子は皆、一度は石集めにハマったことがあるだろう。

ツカモト少年も、いつかの少年が生きていたのだ。真っ直ぐヒスイの市場へ吸い込まれた。

おっちゃんから、ヒスイの取り方、加工の仕方、値段の違いの理由などたくさんのことを教えてもらった。

そして、スピリチュアルなおっちゃんに出会う。

『宇宙のエネルギーをあげるよ』

最初、意味不明だったが、どうやらおっちゃんはレイキ扱えるらしい。

レイキ(霊気)についてWikipediaより

さらに、身体の痛みを軽くしてくれるというので、お願いした。

するとどうだろうか。『か、、、身体が軽い』

いや、本当なんです。疲れによる身体の重みが『ショワワワワワワワアアアアアアアアア』とコーラの炭酸が抜けていくように出ていくのを感じる。

全身が『癒し』の二文字に包まれていっている。

肩の凝りもなくなっただろうと、肩を触ると『...あれ?硬いままだ......』

たしかに身体が軽くなった気はするが、肩こりによる身体の硬さはどうにもならなかったようだ。

今日の山場はもうなく、身体も軽くなったことからルンルン気分で歩いていると、またもやトンネル。親不知以上のもう長いトンネルはないだろうと高を括る。

一難去ってまた一難。

このトンネル...暗い。

しかも歩けど歩けど先が見えない。さっきの接触スレスレ事件を思い出し、本能的に浮かんだ対策がこれだ。

文明の利器、iPhoneのライトを後方車に向け照らし、手を振る。

すると、優しいドライバーの方々がゆっくりと通過してくれる。歩く旅人は、ぜひトンネルではこれをやってみてほしい。(狭い道でご迷惑をおかけしてごめんなさい)

これで怖いものはない。

安心していた俺は、2kmくらいのトンネルの出口手前でライトを消す。するとニッサンキューブがまたスレスレになって通過。心拍数急上昇。

トンネルは、入り口と出口で事故が多い。

そんなことも忘れて油断していた。始まりと終わりこそ用心をしなければいけない。

富山県に入る。街が見えてきたらすぐに、ドライブ中のおばちゃんたちに声をかけられ、コーヒーとコロッケをごっつぁんになった。

金沢からの旅人で、この近辺のことも詳しい。今日のキャンプ地に困っている話をすると、今日泊まる近辺で良いキャンプ場を教えてくれた。

相方と離れ、公園で一人で寝る予定だったから、この情報はありがたい。

相方との別れの時


ずんずんとキャンプ地へ進む。

稲が刈られた田んぼが多くなってきた。これも本格的な秋の知らせだね。

この時期は、『ようやく田んぼでも野球ができる。』ってワクワクしていたなぁ。

郷愁にかられる中、ゴールへ。

園家山キャンプ場。無料でキャンプができ、シャワー室までついている。野宿民としては嬉しいキャンプ場だ。今日は休みの日ということで家族連れがたくさん。

子どもたちの笑い声に包まれながら、幸せな気持ちで眠りにつく。

明日は富山市に。明日は、恩人である、歳の離れた友人と共に過ごす。

彼との物語は、また明日に。

しっかし本ッッッッッッ当に

死ななくてよかった......

新潟県糸魚川市→富山県入善町

歩行距離43km

総歩行距離 1363km

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