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9月9日~15日のきろく

がんばりたい、がんばらなきゃいけない、がんばろう、ぜんぶちがう。がんばれたらラッキーでも許されたい。 → まえ


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9月9日 にちようび

ずっと食べたかった桃パフェをやっと食べられたから、もう夏は終わったことにする。

秋雨前線の停滞とかで雨が降ったり止んだりな天気が多いけれど、このあいだ折りたたみ傘を買ったので、持ち歩けるのがうれしい。

折りたたみ傘が壊れてからずっと不便が続いていたのだけど、しっくりくる柄が見つからなくて、かといって無地?とにかく軽いものにするとか?など色々考えすぎて、「やっと買えた」という気持ちが強い。

少しずつお気に入りのものが増えて、そのうちお気に入りのものばかりに囲まれたらどうしよう。想像だけでにやにやが止まらない。

今日は、自分がどう思われるか、どう見られたいか、を意識せずに話せる人がいるということの大事さを改めて感じた。

ねむいときにねむいと言える。このことが私にとってはかなり重要なのだと最近気がついた。わたしにとって「寝ることは生きること」くらいに必要不可欠なものだから、これからもたくさん寝ないといけない。

帰りの電車で寝るのがすきだ。車やバス、飛行機は酔ってしまうから苦手だけど、電車だけはすきだし、寝心地は最高。猫より猫背になってしまうので、周りからは変な目で見られてそうだけれど。


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9月10日 げつようび

ストレングスファインダーのトップ5から、西村健志さんに140字診断をしていただいた。

(Twitterの埋め込みがなぜかできなかったので、以下引用。)

慎重さ×個別化×戦略性はリスクヘッジの匠です。物事を進めるときに相談すると、一般的ではなく各自に最適なピットフォールやトラップに気付かせてくれます。内省×責任感は、クオリティに強い資質です。生半可なパフォーマンスでは飽き足らず、正確さ、精度について高いアウトプットを心掛けれらます。
特に責任感は誤解されやすくて、世間一般の認識より自分が生半可なパフォーマンスと判断されるのは本意では無い!という想いから細部にこだわりをもって仕事をすることを責任。とする才能なので、時間的余裕さえ環境で感じれれば発揮できると思います!

「クオリティに強い資質」というのが特に目から鱗で、アウトプットは苦手だと自分で思っていたので、その旨をリプしたところ、さらに詳しい解説までしていただけて感謝の嵐だった。ありがとうございました。

こだわっても自分しかわからないだろうな、という点を永遠に気にしてしまうのは「責任感」からだった、というのは発見だった。

最近の仕事で、これはとても自意識過剰な悩みなのだけど、「時間的制約を勝手に感じてつらくなる(とくに注意されたわけではない)」がある。それはそれは胃が痛くなるくらいに悩んでいて、でもこだわることをやめられなくて、どうしてよいのやら、という感じだったのだけど、ひとまず原因がわかって本当にうれしかった。


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9月11日 かようび

「半分、青い」がいい感じの展開になってきて、とてもうれしい。

うれしすぎて、感想を別のnoteに書き始めた。最終回までしっかり見届けたら、完成させて公開しようと思う。

律とわたしはすごく似ている。

成長してからの律はいつもつらそうだった。言葉は少なくても、表情や行動でなんとなく気持ちを察してしまって、律がつらいとわたしもつらかった。胸が痛くて、でも見るのはやめられなかった。(改めて文字にすると脚本も、佐藤健の演技力も、めちゃくちゃすごいんだなあ)

感情移入しすぎているわたしもどうかと思うけれど、HSPにとってはあるあるなのだろうし、最後まで見届けて、生まれた感想を大切にしたい。


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9月12日 すいようび

ねむすぎてねむすぎて、気が付いたら10時間くらい寝ていた。

シンクには洗い物がたくさん、明日のお弁当の用意もしていない、洗濯物も溜まっている、お風呂も入っていない。これは久しぶりにやってしまった、と思ったけれど、まあ、いいか。

高校生の頃、あのときも相当疲れていて、よく実家のお風呂で寝てしまってそのまま朝を迎える日が何度もあった。(よいこの皆様は絶対にマネしないで)

洗濯をしに起きてきた母親に怒られ、身体は冷え、睡眠も中途半端で、なにもかも最悪なのに何度も繰り返した。途中で何回も目を覚まして、そのたびに追い炊きしているのにも関わらず、なお風呂からあがろうとしない自分はいったいどういうつもりだったのか。

昨日はお風呂ではなくベッドだったけど、部屋の電気も、コンタクトもつけっぱなしで、化粧もそのままで、何度も目を覚ましてそのたびに起きようとするんだけれど、結局気がつけば朝がきて。

怒ってくれる母はいないから、お風呂ではもう寝ない。だけど、自分ではどうしようもない睡眠欲は、いつか、王子様のキスで目覚めるのでしょうか?


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9月13日 もくようび

殺されそうになる夢を見た。神経やられちゃう系のガスを吸わされて、腕の力が入らなくなったところで目が覚めた。起きたら実際に腕がめちゃくちゃだるくて、ついにおかしくなったのかと思った。

殺される夢は、現状を打破したいときに見るらしい。変わりたい、変えたい何か。生まれ変わり、再生。とにかく、悪い意味だけではないことは、分かった。

夢の中でわたしは、死から逃げた。殺されるのは癪だ、と思った。

まあ別にいつしんでもいいか、と思っていたときも確かにあったけれど、最近は、もうちょっと生きてもいいか、に変わっている。殺されるのは割に合わない。だって、ここまで生きたんだから。

希望、なんて大きな言葉はあまり使いたくないけれど、もうちょっと楽しいことがあってもいいんじゃない?と思うから、もうちょっと生きる。


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9月14日 きんようび

「累‐かさね‐」を見た。
全員の演技力が爆発していた。なんだこの映画は。

劣等感。

最初、映画を見終わってすぐは、ニナは累との出会いで劣等感を知ったのだと思った。ふたりが出会ったときのニナの高飛車な態度。自分の意見はすべて通ると信じて疑わないような素振り。

でも、なんだかしっくりこなくて、ふと思ったのは、ニナはもともと劣等感を知っていたということ。累は自分を卑下することで劣等感を表現したけれど、ニナの劣等感は強がることで劣等感を隠していた。

「周りのみんなはできるのに自分だけができない」「わたしだけがみんなと違う」

周りの人と比較して自分の存在を確かめる。
自分は自分でしかないのに、そのことに気が付くのは時間がかかるし、本当の意味で劣等感を克服するには「受け入れる」しかないのかもしれないと思う。

結局、他人の人生を生きることはできない。自分は自分でしかないから。他人の姿で評価が上がっても、自分の評価は上がらないし、劣等感もなくならない。むしろどんどん大きくなる。

所詮は、マネージャーの掌の上で転がされていただけなのだ。


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9月15日 どようび

ひさしぶりに歯医者に行ったのだけど、やっぱり何歳になっても歯医者は苦手なままだった。

真っ白の壁より、パステルのピンクとか緑とか、そんな色のほうがいいんじゃない?と思うけれど、そんなことよりも機械の音がこわい。

ちびっこが「いたいいたい」と泣いていた。わたしも歯医者で「いたい」と泣けるような子供だったらよかった。どうしたって我慢することがすべてなんだと、それしか知らなかった。

子供を育てるときがきたら、「泣いていいんだよ」と教えたい。強くなろうとするよりも、弱くてもいいんだと知ってほしい。きみがきみのままでいてくれたら、わたしはそれだけでうれしいんだよ、とハグしたい。

我慢することは、何歳になったって学べる。でも、歯医者で「いたい」と泣くことは子供時代に許された特権のような気がする。

子供はよく怪我をするけれど、治りも早い。何度も怪我をすることで痛みを知るためだ。それで他人の痛みを理解できるようになる。だから、治る怪我ならたくさんしたほうがいい。

コードブルーで緋山先生が言っていた言葉だ。

「治る怪我」の線引きは難しい。

ただひとつ言えるのは、「涙が出る」状態は、「泣くことが許される」場所での怪我は、きっといつか治るということ。物理的にも精神的にも。
いまはそう思う。


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9月9日~15日のきろく おわり → つづく

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