緑色の目をした怪物に襲われたらどうなるのか

文学的タイトルで書き始めました
皆さまこんにちわあるいはこんばんわ

まぁ、有名なアレの一節ですね

では、緑色の目をした怪物の餌食なったらどうなるのか

あれこれ思考している中で記事にしてみたらどっかで誰かの役に立つかも知れないと思って書く事にしてみました

オセローの劇中では
「お気をつけなさい将軍
嫉妬というやつに
こいつは緑色の目をした怪物で
人の心を餌食とし、それをもてあそぶのです。」
と、食われて弄ばれるとの表現

原文は古英語なので様々な訳が存在しているし、英語での解釈すらゆれがあるものかと思いますが
日常に起こり得ることなどに照らし合わせて活用出来るカタチにしてみようかと

自分も落ち着きがなく変なことが気になるタイプなので本筋に入る前に「なんで緑色なの?」が気になって仕方なくなる人の為に

なんか難しく研究する人々の中では原典探しみたいなモノが行われていますが
古くからヨーロッパでは嫉妬=緑色との表現が詩などの文章創作に登場していてシェイクスピアが生きた時代には当たり前の感性だったらしい
との認識です
怒りとか赤で表現されるじゃないですか
あぁ言う感じですよね
日本では馴染みの少ない感性かとは思いますが
感情の色を表現すること自体は理解出来るかと
緑…個人的にはなんだか密林とかのイメージなのでなるほど嫉妬…彷徨って出られなくなりそうな感じで解る気がします

さて、脱線から復帰します
嫉妬とはなんぞや
嫉妬に餌食にされて弄ばれるとは
お題的に負のカロリー高めなので「例え話」として紐解いてみます
例えばコレコレこう言う場合と言う体で…

まぁ、情報化社会なので調べれば何でも意味も由来も出てきます(元も子もない)
でも感情は?感性は?
お気持ちですよね論破もけっこうですが人間以外の動物だって感情や感性を持っているものなので無視してよいものではないと思います
物事は多面的なので仮に文学的には「右」心理学的には「左」哲学的には「下」科学的には「上」みたいに同じ事象も立ち位置に依って置き場が変わるものかなと思います
なので、何処か一点だけからではなく落ち着きないならではのスタイルでぐるぐる回りながら観測してみましょう

脱線から復帰と言いつつまた前置きかよとのツッコミは聞こえないふりをして…

嫉妬…
まぁ劣等感ですね
自分より優れているモノを羨み妬む
自分より恵まれているモノを羨み妬む
そう言う事ですね



例えば、何事にも一生懸命で神経質で努力したら出来ない事はない
と、自信満々に生きている人が居たとします
自分の積み上げた努力、築き上げてきた自信から我が子にも「成せばなる、成さねばならぬ」と言い聞かせ万能超人のように君臨し
言う事に間違いはなく従うべきとの強権を誇示して子供を育てます
「間違えた事は言ってない」
「筋は通ってる」などが口ぐせ
確固たる自信の源は「私はそこら辺の親よりもしっかりやってる」

はい。お気づきでしょうか?
完璧で誰よりもしっかりしていなくてはならない
劣等感です

そうして本人も育成されている側も劣等感なんてものには気付かずに時は流れます

劣等感…負けている…負けたくない…負けてたまるか
虚勢と虚栄心がすくすくと成長します
そんな諸々の「虚」をドバドバ浴びせられつつ育まれる子供

ハングリー精神は時には大事だし、起爆剤にもなります
ただ、振り切るとそれは敗北する「恐怖」を生み出します
そして虚栄心から不自由なく過保護、過干渉に育った子供はハングリー精神など持たずに謎の劣等感を生み出す物質「虚」を過剰摂取しながら成長します

「敗北への恐怖心」を持たずに「劣等感」を持つと自己の存在感が希釈になり、何をするにも成功のイメージが湧かずに何も成し遂げられなくなります
本来は失敗しないような事も失敗し続けます
着地点は「どうせ自分なんか」で踏切台がマイナス地点、地下なので何一つ壁を越えられません

達成感ナニソレオイシーノ?が基本な人間は何をしても満たされないし簡単に達成感を得られない
何故?
完璧主義の環境下に於ける1番以外は無価値なので

さ、話がゆれてるように感じると思うので少し締めると
「劣等感」を覆すために歪に育てられた子供は「自分は恵まれている」のだからそれ以上求めてはいけない呪いに汚染され
「いいなー」程度の羨ましさはともかくとして「負けてる!クソ!負けたくない!」みたいな感性を持ち合わせず強烈な「嫉妬」に至らない
「憎悪」を持ち合わせないのです

良いことのようですが一長一短、表裏一体
ナニカを憎んだり、ナニカに怒ったりする事がない状態は歪であり
「力」を持たない事にもなります

また、「どうせ」が作用してあらゆる事への意欲が低迷します
結果的に「がんばれ、がんばれ」と囃し立てられて自分は「怠惰」であると刷り込まれます

うっすらと毒の塗られた細い針で紡ぎあげられた羊毛フェルトの人形のように
あらゆる「虚」と「劣情」を塗り込められて育つ存在もまた人知れず緑色に染まっていたりするもので

妬み嫉み僻み恨み羨み…
微妙に色味は違えどみんな緑色なのではないかなと思うのです
そしてこれらの感情はまるで毒のように心を蝕むモノで
緑色の目をした怪物に襲われる事は食われて終るのではなく伝染して取り込まれてしまうのではないでしょうか
目どころか全身緑色の怪物に成り果てる事もあるかも知れません
まるでゾンビのようですね…
鈍くくすんだ緑色の怪物はボロボロに朽ちながら「活力ある者」を襲います
毒に浸されながらも「成せば成る」ともがいていた姿は見る影もなく
己の「虚勢」に応えて成果を成した者に対して「劣等感」を抱き「嫉妬」し「憎悪」します

さて、救いのないこの猛毒
避ける術はないのでしょうか

昔オンラインで関わった中にとても聡明な考えの人が存在しました
数学の公式などを勉強として覚えるよりも
「◯◯をする数値を導き出す為に◯◯の公式を使う」などのように覚えた方がよい
などと語っていて
七つの大罪とされている悪徳に関しても
「余裕を生み効率を求める為の怠惰さ」
「高みを目指す為の羨望としての嫉妬」
など、あらゆる要素を合理的にポジティブに捉える人でした
心理学や哲学、文学などかじった身ですがあの思考は目から鱗であったし
苦境にあった当時の自分の思考に大きな影響を与えたのを覚えています

短所を述べにくい時に長所を裏返した内容にしたり
長所を述べるのが苦手な人は短所をポジティブに表現すると上手く表せるのと同じで
毒も薬も用法用量で働きが変わるもの
自分が怪物に成ってしまわない為には毒をしっかり認識して適切に転用する
薬に溺れてしまわないように用量を守る
など、場面に応じて柔軟性を持たせる事が大事なのではないかと個人的には考えます

意地を張って無理を通すほどに毒は回りやすいもので
自分の耐性を過信せずにある程度理解のある存在と感情や感想を共有する事は必要なのかなと思います
顔も知らない遠く離れたオンラインの友人が支えになることもあります
そんな巡り合わせをくれた存在への感謝は絶えません
そうしてどこか、誰かへと還元して行けたらならみんなハッピーなのではないかなと

少し、いやかなり不安定な文章になってしまった感じはしますが状況的に時間をかけて書く事になってしまったので致し方ないかとも

しかしながら何かしらの参考になりそうな事は書けたのではないかと思います


駄文に最後までお付き合いいただきありがとうございます

この記事があなたの明日からの世界をより良く出来れば幸いです

それではまた

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