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朝日新聞夕刊5/8~12の「現場へ!」についての考察
まず、この5回シリーズについての私見。
『現場へ!』と言いながら
◆現場の人間として出てくるのは
・客 3名(うち1名は記者本人) 20%
(他に写真のみの客1名)
・踊り子 2名 20%
(この他に現役踊り子1名が過去の踊り子についてのコメント、3行)
・劇場関係者(経営者・スタッフ等) 0名 0%
◆今、ここにはいない過去の人、事 40%
◆現場の人間
川崎ロック 最後の日
2月28日、高円寺の書店で、矢沢ようこさん、黒井ひとみさん、たなかときみさんのトークショーがあった。広島第一劇場の閉館を扱ったたなかさんの書籍「ストリップをよろしく」の出版記念イベントであったため、トークもそのことに触れる内容が多かった。
私が過去訪れた劇場のうちすでに10を越える劇場が閉館してしまったが、一度だけ最終日の公演に立ち会ったことがある。
その特別な1日を書き残していた。
本文
4月14日 シアター上野での出来事 その2
ここからは私の主観、私見がメインになりますので、事実だけでなく憶測、想像も含まれます。
ガサ入れ後のお客さんは皆さん大人しくしてましたね。捜査員も客も、声を荒げることもなく事情聴取は淡々と行われていました。
捜査員はハイハイとうなずきながら客の話を聞きいていますが、自分なりのシナリオを頭の中に持っているので、ときどき質問の仕方から「こう言ってほしい」「こんな証言が欲しい」という意図が見えてき
4月14日 シアター上野での出来事
劇場内でなにが起きていたのか、事実のみを時系列を追ってできるだけ私情・私見を排除して書いてみました。
11時40分過ぎ
JR上野駅から徒歩で劇場へ向かう。開演に間に合うか少々焦り気味だったので劇場付近の景色には意識は向かず、どんな様子だったかは記憶にない。入り口で検温、手消毒して地下へ。
11時50分ごろ
入場料金を払って場内へ入る。階段上やテケツ他の従業員の態度、様子はいつもと何も変わっ
桜木町駅の車止め その2 東急東横線
桜木町駅にはもう一つ、車止めがあった。今はなき東急東横線桜木町駅の車止めである。
目蒲線とその沿線である洗足田園都市や田園調布の開発で規模を拡大してきた東横電鉄(現東急)の社長・後藤慶太は1926年(大正15年)2月、丸子多摩川(現・多摩川)~神奈川(廃駅・現京急神奈川駅付近)間を開通させ、その触手を横浜に伸ばした。
東横は当初、桜木町ではなく黄金町を目指していた。そこは当時の一大繁華街
桜木町駅の車止め その1
「ヨルタモリ」という番組に、鉄道の車止めをドラマチックに取り上げるコーナーがあった。そのほとんどがローカル線の悲哀、不運をえがいたものだったが、鉄道発祥の地・横浜にも語られるべき車止めは存在する。
桜木町駅の車止め その1 JR桜木町駅鉄道には必ず始点と終点がある。そこにはその象徴として車止めが存在する。終わりは始まりでもあり、始まりは終わりでもある。
JR京浜東北線桜木町駅は1872年(明治
次はどこの劇場へ行ってみようかと考え始めた皆さんへ (23年7月改定)
最初に掲載してから4年経ちましたが、その間に2館も廃業、1館が休業中です。また、ほんの少しですが系列を超えた劇場に乗る機会も増えてきたようです。そこで関係図を改定しました。
実は、踊り子さんは所属する劇場の系列によって、出演できる劇場と出来ない劇場があります。 (これは劇場間の過去の不幸な歴史の結果)
簡単に図にしてみました。
名称が描かれた箱は劇場とそこに所属している踊り子さんを表してい