桜木町駅の車止め その1

「ヨルタモリ」という番組に、鉄道の車止めをドラマチックに取り上げるコーナーがあった。そのほとんどがローカル線の悲哀、不運をえがいたものだったが、鉄道発祥の地・横浜にも語られるべき車止めは存在する。

桜木町駅の車止め その1 JR桜木町駅

鉄道には必ず始点と終点がある。そこにはその象徴として車止めが存在する。終わりは始まりでもあり、始まりは終わりでもある。

JR京浜東北線桜木町駅は1872年(明治5年)9月12日、日本で最初に開業した駅の一つである。当時は横浜駅と呼ばれたが、ここは日本で初めての始点、終点でもあった。当然、日本初の車止めもあったはずだ。

この車止めの先は『関内』と呼ばれた外国人居留地。
横浜に上陸した欧米の文化や制度、モノ、サービス、技術は、ここ横浜駅から東京へ、全国へ、広がって行った。
横浜駅は文明の始発点でもあったのだ。

横浜駅で汽車から降り立った乗客は世界へ開かれた港町の全容を目にする。レンガや石造りの大きな建造物、瀟洒な商館が建ち並び、舗装された幅広な街路の先には洋式公園「横浜公園」がある。さらに、馬車が走り、ガス灯がともり、日刊新聞があり、ビールもアイスクリームもある。郵便はもちろん海外電信も打てる。写真館あり、クリーニング店あり、西洋家具店あり。。。
そこは先進的な交易都市であり、文化の交差点でもあった。
車止めの先は、広い世界へ、輝かしい未来へと繋がっていた。


しかし、大正4年、横浜駅は東海道線上へ移転する。
それまでの横浜駅は文明の始発点としての役割を終え、桜木町と名前を変えて、1ローカル線である京浜線の始点・終点駅となった。
いつの日か復権することを信じて、桜木町駅の車止めは耐え続ける。

相方の新橋駅は東京駅開業に伴って汐留駅と名を変え貨物専用駅となり、やがてその汐留駅も廃止されてしまう。
桜木町の車止めは日本で唯一の最古の車止めとなった。
その後何度も、桜木町駅の車止めを廃し線路を伸延する計画は立てられた。
しかし、近代日本の始発点としてのプライドがそのいずれをも拒否、車止めは存続し、電車は折り返しを続けた。

桜木町の車止めはその後の歴史の目撃者となる。
震災、恐慌、戦災、占領、復興、成長、停滞、変換、再開発・・・
目の前を走っていた路面電車や肩を並べていた東急桜木町駅の終焉も目撃することになる。

1964年(昭和39年)5月19日、根岸線として桜木町~磯子間が開通する。
桜木町駅は初めてその先に線路を持つことになった。初代横浜駅として誕生してから実に92年後のことである。

しかし、桜木町駅には今も車止めが存在し、電車はそこで折り返している。
横浜線が乗り入れるようになっても、根岸線が大船まで伸延されても、桜木町駅の車止めは生き続けている。
近代日本の始発点である桜木町駅を素通りさせてはならない。
それは近代日本を支えてきた国鉄、JRのプライドでもある。

日本最古の歴史を受け継ぐ現役の車止めは、今日も復権を信じて存在し続けている。


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