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朝日新聞夕刊5/8~12の「現場へ!」についての考察

まず、この5回シリーズについての私見。
 
 『現場へ!』と言いながら
◆現場の人間として出てくるのは
・客 3名(うち1名は記者本人) 20%
           
(他に写真のみの客1名)
・踊り子 2名 20%
      
(この他に現役踊り子1名が過去の踊り子についてのコメント、3行)
・劇場関係者(経営者・スタッフ等) 0名 0%
◆今、ここにはいない過去の人、事 40%
◆現場の人間ではない第三者 1名 20%
  
 (客として現場へ行ったとされている)
     *パーセンテージは5回連載のうちの掲載回数(1回=20%)
 
 つまり、現場の人間は客3人と踊り子2人だけで、全体の半分も紙面をうめていない。しかも重要と思われる劇場関係者が抜けている。
現場の人間ではない第三者は客とすることもできるが、その内容のほとんどがストリップとは直接関係なく、比率で表すとすれば、6%程度。(詳細は後述)
 現状を理解するうえで過去の人・事を取り上げる必要性はあるだろうが、ここで扱われた事例についてはどう現在の現場と関連しているのかの記述がない。また、現場へ行かなくても調べられることである。 したがって「現場へ!」の趣旨にはそぐわない。
とすると、現場の人間は40%、客としての第三者を加えても46%、半分にも満たない。タイトルと内容がここまで乖離していては、水増し、上げ底も同然で、食品で言えば、「現場」ではなく「現場風味」といったところでしょうか。
 
 タイトルである『消えゆく光のもとで』は、ストリップがやがてなくなるという一方的な先入観、推測でありながら、断定的につけられている。消えるという根拠はなにか、明らかにはしていない。
根拠のない憶測をタイトルにし、読者に偏った印象を与えるのは報道として正しい姿勢だろうか?
(第5回で『ストリップは斜陽産業で、「なくなっていくもの」』とあるが、これは発言者の私見で、新聞社としての認識ではないはず)
 
 「話題になっている事柄を取り上げて、ざっくりと紹介。良いところもありますが、こんな意見もあります。」で終わってしまう、商業マスコミの典型的な記事なのですが、「こんな意見もある」として取り上げた人選が中途半端でした。
 
以下、第5回の内容について細かく見ていきます。
 
 劇場に行ったとされる作家が語った部分は全体で66行。そのうちストリップに具体的に触れたのは3カ所、合計21行のみ。(記事の写真 赤枠の部分)全体の3分の1もありません。残りの3分の2は持論の展開で、性産業全般のお話。ここにも水増しがありました。(66分の21で32%、1回分20%の32%で6.4%)
 
 その21行のうち、冒頭の10行は踊り子と客に対する肯定的な理解と感想です。
 しかし、そのすぐ後に『モヤモヤせずにはいられません』とストリップとは関係なく、問題を提起します。
その理由を挙げてはいますが、『男女間の理不尽な経済格差』とか『女性だけに「性的なことは恥」という概念を与える社会』など抽象的でわかりにくい言葉を連ねています。またこれは性産業の全体論であって、ストリップとの関係性は示されていません。
 
 『性産業は容姿や年齢によって序列が決まります』 ストリップもそうですか? ストリップに行ったとしていますが、何を見てきたのでしょう。一緒に行った記者さんの解説はなかったのでしょうか。そのあとに続くリスクも含めてストリップ記事でわざわざ取り上げる事項ではないと思われます。
 
 『ストリップで言えば』としていますが、『盗撮されたり、裸の写真が残ってしまったり』はストリップだけの話ではではありません。盗撮は劇場外でも頻繁に行われており、その被害者のほとんどは性産業にかかわりのない女性たち。劇場では盗撮行為は厳しく監視されています。
 盗撮やいたずら、リベンジポルノなど、裸の写真の流出リスクは一般女性でもありうること。そしてこれらの行為は性的格差とか搾取云々以前に犯罪なのです。つまり、踊り子に対して「リスクがあるからやめろ」というだけでなく、そうした行為を行おうとする者に対して「法に触れることはやるな」というのも重要だと思います。
 
 『被害者が生まれやすい世界』と結論付けていますが、これもストリップに限ったことではありません。
 また、『搾取と労働の線引きは限りなくグレーです。』とはこの段落のどこと結ばれるのでしょうか?
 
 次の段落では『女性だけを対立させるこの構造』と述べていますが、『性産業そのものが性暴力的であると訴える当事者』については現在のストリップ業界では会ったことも聞いたこともありません。過去には確かにありましたが、そのほとんどが摘発されて現在では絶滅しました。
 
 さて、一番の問題点。
『ストリップは斜陽産業で、「なくなっていくもの」だと捉えています。』
 これは個人的な認識ですからスルーしますが、
『だからこそ、演目やサービスをソフトなものに変え、女性客を呼び込みました。』
 この認識は完全に間違っています。個人的な印象だけで調べもせずに推測を断定的に述べた、マスコミとしてやってはならない1行です。
 以前からあったのは女性料金くらいで、女性客が目に見えて増えてきたので劇場があわてて女性専用(優先)席やトイレの改修をやったのが事実。単発的な女性客向けのイベントや興行はあったが、女性客を呼び込むための対策を積極的継続的に行った劇場は残念ながらありませんでした。
*個人や団体による女性客限定ストリップ劇場ツアーも情勢客が増え始めてからのごく最近のもの
 
 演目がソフトなものに変わったのは、ストリップが裸体、性器を見せるためのものから他のライブパフォーマンス(演劇や舞踏、音楽、演芸)と同様の表現手段として認知、確立し始めたから。だからこそ、舞踏や演劇経験者などの表現者たちが実際にストリップを見学して「やってみたい」「やらなきゃ!」と感じステージに立っています。ある意味AV女優さんたちも表現者であることには違いない。
裸体が目的から手段になってきているとすれば、傍目からはソフトに見えるでしょう。
女性客を意識した演目がないわけではないが、そういう演目で既存の男性客が減るリスクを考慮し積極的に女性客のみを対象にすることはまれです。
そもそも演目は個々の踊り子が個人で創作し何を上演するかも自分で決めるので、業界として、あるいは劇場側から「女性客を呼びたいからこうしろ」という指示や要請はほとんどありません。
 
『サービスをソフトなものに変え』とはエロポラのことでしょうか? 接触系のサービスも含め、これも女性客のためではなく、時代の流れでしょう。 劇場側の保身・予防でもあるかもしれません。
 
続いて『女性客が利用されている側面はあると思います。』 とありますが、これは正しい。
ただし、ストリップに限った話ではありません。この文脈の中で使われるとストリップの女性客に罪悪感や嫌悪感を与えますが、世に存在する集客施設・店舗で、女性客を利用してない方が少数だと思います。「集客のポイントは女性客」とはよく聞く話。この言い方をすると、「遊園地では未成年、学童、幼児までもが利用されている」となります。
 
 
これは私の個人的な印象ですが、
新聞社としては意見のバランスを取ったつもりでしょうが、性産業としてのストリップの問題提起は抽象論と事実誤認で自爆してしまったようです。
見には行ったが、ストリップと持論を結びつける要件が見つからず、リスクをこじつけただけに終わってしまった。余ったスペースはさもストリップと関係しているように見せかけた自論で埋め、冷たい経済用語で非人間性を強調するが、具体性に欠けるため説得力はない。
案外、実際に自分の目で見て感じた今のストリップの踊り子と客を肯定的に語った部分が本音なのかもしれない。
 
 終りに記者が『一方でその影の部分にも目を凝らし、』と言っていますが、その影はストリップ自体にあるのではなく、実はそれを見る客の心の中にあるのではないか、と思うのです。
 

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