自己啓発との付き合い方
僕は本を読むことが好きだ。
noteにいるような方であれば、共感いただける方も多いかもしれないが、友人を家に招くと、たいてい家にある本の量に驚かれる。
今日は、最近本を読んでいて、思ったことを書いてみる。
あまり進んで読むことはないのだが、タイトルにしている、自己啓発本を読んでいて思ったこと。
僕はこの類の書籍を読むときはとても注意しながら読んでいる。
なぜなら、その書籍の主張が、そのトピックに関する完璧な解決策でない場合が多いからだ。その書籍が主張する答えの粒度が細かく具体的であればあるほど、その確率は跳ね上がる。
たとえば、「雑談」に関する書籍、「仕事術」に関する書籍。これらは往々にして、筆者が変われば真逆の主張が用意されていることは珍しくない。
ただ、読んでみると、どちらも間違っているとは思えない。
同時に、どちらも鵜呑みにしたいとも思えない。
「合う合わなないがある」
などというが、これはそもそもただ1つの答えがないはずで、だいたい正しそうであることや、一定の条件が必要であることなどを、頭の片隅にいれて、自分の相対する現状に合わせて判断していく必要があると思っている。
世の中には、数学や科学とされているような、答えがただ1つ決まっている(真理のある)問と、そうでない問の2種類があるように思える。
雑談の答えがただ1つ決まっていれば、誰も雑談に困ることもないし、仕事術の答えがあれば、誰も捗らない仕事に苛立つこともないだろう。
おそらく、自身の意見を書籍にしているくらいの人たちは、それくらい承知のうえで主張を記しているのだろうが、読み手は、その主張が真理ではなく、著者の暫定的意見であることや隠された条件付けがあることなどしっかり見極める必要がある。そのうえで主張の中から役立つエッセンスをくり抜いて我が物としていくのだろう。もし、みんな無条件でうまくいったら誰しもがコミュニケーション能力が高く生産的な世界が出来上がってしまう。
遠回りしたが、なにか問があってその答えが記されたような書籍や意見があったとき、その問の答えが1つと決まっていそうかどうかを見極める必要があると思う。概念的であればあるほど、正しそうな度合いは上がっていくだろうが、それが正しそうかどうか、どの程度正しそうかも、判断していかなければならない。
そうやって、自身の血肉となっていく知識や知恵を得ることが、選んで食べる正しい食生活のように、ヘルシーで身のためだと思った。
なにも自己啓発に限ったことではなく、文系と言われる専門職のスキルであっても、大概当てはまる考え方だとは思っている。
ただ一方で、答えが1つと決まっていない事柄であっても、なにか1つを暫定的な答えとして据え置くことの重要性は非常に大きい。
むしろ、こちらを先に書くべきだったかもしれないが、それは次回のnoteで書いてみようと思う。
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追記、こちらの記事が、それです。
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