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ショートショート13 クラシカルなオレ様

 クラシックは良い。なんてったって心が落ち着く。昔はやんちゃしてたオレでさえ文句なしで素晴らしいって思える。格式高いフロア、静寂さえも音楽だと思わせる荘厳な雰囲気、どこかですれ違ったかもしれないが記憶にはない演奏者たちの生真面目な表情、名前も知らない楽器と名前は知ってるけど見た目を知らなかった楽器と音楽の教科書やテレビで見たことはある楽器たちの奏でるメロディったらありゃしない。
 生真面目な表情から奏でられる一音目、そのギャップに思わず吹き出してしまいそうになるが、おさえる。ここは、クラシカルな会場だ。自分もクラシカルでなくてはいけない。似合わないから好きじゃないスーツも、いまだに悪戦苦闘を強いられるネクタイ(今日もつけるのに一時間奮闘した)も、べたつくから嫌いなワックスもつけて臨んだのだ。オレのバカげた行動一つで台無しにしてしまっては申し訳ない。音がしないように息をして、音がしないように深く座りなおして、音たちと向かい合う。
 あぁ、素晴らしい。心が落ち着く。生きていて良かったと思う。聞いているうちに昔のちょっとしたことや、大変だったこと、青春時代が思い起こされ、それらひとつひとつがまるでそのときBGMとして鳴っていたかのように感じられる。メロディに合わない記憶はねじまげてしまえばいい。失敗した告白も大成功、女の前で殴られた記憶も大勝利、親を泣かせたその涙の意味は大感動。
 本当にクラシックはいいなぁ。ワンフレーズだけ聞いたことのある曲、まったく知らないのに今日好きになってしまう曲、以前どこかで聞いたことあると思ったら別のコンサートでだと気づいて、すっかりオレもクラシカルになれたもんだと思っていると、曲が変わる。実のところオレは、違う曲になったのか、転調ってやつをしたのか、同じ曲の一部なのかなんて分からん。だから、周りが拍手をしたら終わったんだなって思うようにしている。なんてったってここにいるお客さんはずっと追いかけている人たちがほとんどだ。オレなんかよりよっぽどクラシカルなわけだから信頼に値するし、尊敬もする。顔は、オレが中卒のバカだからか覚えられないが、もし覚えられるなら全員の顔を覚えて帰りたいくらいだ。
 懐かしい。顔を覚えるなんて言葉は、クラシカルになる前は良い意味で使ったことはなかった。喧嘩で負けそうで逃げるとき、喧嘩で負けて逃げるとき、喧嘩に負けてはないが警察が来て逃げるとき。思い出したくもない。ここはクラシカルな空間なのだ。その記憶も捻じ曲げてしまえばいい。
 喧嘩じゃなくて話し合いだ。小学校のときの児童会以来一度も出たことないが会議ってやつだ。警察はお茶組役のお姉さん。最近入ったばかりの新人でちょっと緊張した趣。女の顔はテキトーに元カノにしておいたが、思い出せない角度がでてきたので、テキトーに最近見たAV女優にしておいた。
 いけない。オレはクラシカルだ。もっと真剣に音楽と、クラシックと向き合わなければ。しかし目を閉じるとどうしても作り上げた名作の記憶たちが浮かび上がってきやがる。小さな咳ばらいをしたかったが、そんなときに限って、曲が静かになる。別の曲になったかと思ったが、周りは立ち上がらないので違うのだろう。
 気づいていないオレよりバカな客が隣にいた。そいつはわざわざ立ち上がって拍手したが、周りの反応を見て座った。オレよりバカということはこいつはクラシカルじゃない。そう思った瞬間、気づけばオレの手はそいつの胸ぐらにあった。ハッとなったオレは、自分の口元に人差し指を当てて、
「静かにね」と微笑んでおく。
 オレも丸くなったもんだ。一昔前のオレならもうやった後だろう。気持ちを落ち着かせて、音と向き合ったところで、隣から肩を叩かれる。なんだよクラシカルなオレ様に何か用か?
 振り返ると、AV女優だった。いや元カノだったのかもしれない。そいつはしきりに「警備員です。退室をお願いします」と繰り返す。
 冗談じゃない。オレはクラシカルな男だ。無視して音楽と向き直るが、その自称警備員女は、はじめは小声だったのが、耳元ですごんだ声になるものだから、あまりのクラシカルのなさにオレは怒って胸ぐらをつかんで、と、あとはさっきの男に対してした同じように優しくしてやった。その自称警備員女は卒倒していた。
 驚いたのは、続いてやってきた三人の自称警備員女がみんなAV女優の女だったことだ。オレは三人に引きずられて、会場を出される。会場を引きずられる間、オレは自分よりクラシカルじゃない客、寝てるやつ、寝てる上にいびきをかくやつ、スマホでラインを返してるやつ、Twitter見てるやつ、化粧直しをしてるやつ、涙をふくだけでは飽き足らず花も噛んでるやつ、何かを探しては「あいつこそ外に出せ!」と何度もお願いしたが、聞いてもらえなかった。
 ちくしょう、なんでオレよりクラシカルじゃないやつが生きてるんだ。オレは我慢ならなかった。
 ちくしょう。これじゃまた独房生活に逆戻りじゃねぇか。
 あそこの目覚ましに流れるクラシックだけはもう全然クラシカルじゃない。
 しかし、思っていたほど悪くはならなかった。オレはその会場を出禁にはなったものの、警察沙汰にはならなかった。むしゃくしゃするから、買い物でもして帰ることにしたが、店内に流れるクラシックもまた、全然クラシカルじゃなかった。
 ところどころからスマホが鳴る。スマホが鳴る。鳴り続けている。これもクラシカルじゃない。
 この空間ではオレがもっともクラシカルな男なのだと思うと、気分がすっきりした。

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