誘拐されて旅行(プラトニック) 第3話 かなえ姉のお友達の明美さん
スーパーを出ると、温度差で体が溶けるかと思った。そのことを伝えようとしたところでオープンカーを見ている人がいるのに気がついた。
「オープンカーのいいところと悪いところを教えよう。いいところは車を停めてても車内に熱が篭らないこと、悪いところは冷房が効かないことだ。熱風を浴びても涼しくない」
「誰も聞いちゃいないよ」
僕は知らない人だったけど、かなえ姉の返事が柔らかいものだったから、一瞬で知り合いなんだと分かった。
「相変わらずね、明美」
「そちらこそ、かなえ」
「相変わらず、嫌味な返しは健在なようで」
「そちらこそ、健在なようでなにより」
表面的には嫌味を言い合っているけれど、二人の会話の端々からは再会を喜んでいることが分かる空気が漏れ出ていた。
僕はこういう時間が苦手だ。僕が知らない人と僕が知っている人が仲良くしている間、僕はまるで自分が存在していないみたいに感じる。先に話していたのは僕なのに、列に並んで待たされるのはおかしいと思う。
「その子は?」
と気を遣われて話を振られるのも嫌だ。それもかなえ姉に紹介されるのはもっと嫌だ。どうせ、昔遊んであげてた近所の子と紹介されるのがオチだ。僕はそれを聞くといつも自分がかなえ姉にとって何でもない存在なんだと思い知らされるから。
「誘拐してきた子」
「え?」
「え?」
「間違ってないでしょ」
かなえ姉が僕を見てにっこり微笑む。
「なんだ、新しい男でも捕まえたのかと思ったのに」
「明美」とかなえ姉が言いかけたのに僕の口からは「見えますか!?」という言葉が出てきた。自分も驚いたけど、何より明美さんが一番びっくりした顔をしている。
一度口にしてしまったものは消せない、小学校のトイレのカレンダーにあった消しゴムという題の詩がふっと浮かんだ。その通りだ。一度言ってしまったからにはもう引き返せない。
「僕、かなえ姉の恋人に見えますか」
僕は疑問のつもりで言ったけど、明美さんはかなえ姉をチラリと見てから、
「ごめんごめん。そんなに怒らないで。かなえが男と一緒にいるなんて珍しいから、ついね」となぜか謝られた。
「珍しい?」
彼女が高校生になってから僕と遊んでくれなくなった。高校生になったらいろいろある、と聞いて、てっきり好きな男の人ができたのだと思っていた。
実際に仲良さそうに男の人と二人で歩いているところも見たから信じて疑わなかった。それが違ったというのは信じられなかった。
「はいはい、私のことを詮索するのはそこまで。で、何の用?」
明美さんは僕を見ているときは困ったような顔だったのが、かなえ姉に視線を戻すと、表情まで元に戻った。
「何の用、ってそれはこっちのセリフだよ。うちの敷地内に、こんな派手な車を停めてさー」
「ふーんここ明美の土地だったんだ。知らなかった。てか別に私が派手な車に乗っても良いでしょ」
「まぁ、私のっていうかじーちゃんのだけど。だいぶ前に亡くなって、私が引き継いだの」
「じゃあ、今は旦那さんと一緒に地主暮らしか。いいご身分ね」
かなえ姉は明美さんに対して面倒そうに返してはいたけれど、どこか楽しんでいるように見えた。それは昔からのお約束をなぞっているだけのようで、僕はその昔にいない。やっぱりそれが嫌だった。
「それ、聞いちゃうか」
けど、明美さんは僕より嫌そうな顔をしていた。二人はしばらく黙って、かなえ姉が先に「ごめん」と口を開いた。
「謝ることじゃないさ。ただ、代わりといっちゃなんだけど少しだけ愚痴を聞いてくれよ」
短めにお願い、とかなえ姉は言ったけど、明美さんはそれには答えずに話し始めた。
「大学で東京の芸大に行ってさ。そこで出会った男だったんだ。芸大だっていうのに、お金を稼ごう、出世しようっていう上昇志向が強いやつだった。作品でそうなるなら普通なんだろうけど、芸大で就活に力を入れてるあいつは異端だった。あたしはそこに惚れたんだ。あいつはあたしの作品を褒めてくれた。金になるってね。始めはその言い方が嫌だったけど、あいつの言う通りに仕事をしてたら実際にバイトより高い金を稼げた。おかげで卒業後も就職せずに絵一本で食えてる。でもあいつは違った。芸大にいたのに何も特に変わった経験をせずに就活に臨んだからか、就活が上手くいかなかった。だからあたしは言ったんだ。じゃあ私のマネージャーみたいなやつになってよって。もちろん励ましのつもりだった。でもその言葉があいつの心の奥底にあった何かに触れたみたいで、珍しく怒ったんだ。怒りが一番お金にならないって言ってたくせにね。変だよなぁ。そのタイミングでじいちゃんが死んで、あたしはここに移り住んで、あいつとは別れたってわけ」
「そう」
長々と身の上話を話してくれた人に対しての返事としてはよくないはずなのに、明美さんはそれを見て腹を抱えて笑い始めた。
「あんたって本当、わかりやすいね。気を使ってくれてありがと」
かなえ姉を見ると、本日五本目の空想のタバコを吸っているところだった。
「あんたって昔からいつも動揺すると、そうやって偽物タバコ吸うよなぁ。赤いオープンカーといい、センセの真似ばっかじゃん」
明美、と言ったかなえ姉は明らかに動揺していた。しかし新しい空想タバコに火をつけるというよりは火のついた空想タバコを手で潰すような素振りだった。
「まぁまぁ、あんたもあたしのプライベートなとこに踏み込んだんだし、どっこいということで」
「あなたが勝手に話しかけただけでしょ」
かなえ姉が食ってかかるところを見るのは初めてだった。思わずじーっと見ていたせいか、かなえ姉は明美さんに「ちょっと中で話そう」と提案した。
あ、といった僕の声をよそに体を押して彼女の家に向かおうとするかなえ姉の手を取って止める。
「あの子に聞かれたらまずいことでもあるの?」
それは、そうだと分かっていて聞くような言い方ではなく、本当に中でするほどの話があるのかをたずねているようだった。
言い淀んだかなえ姉に続けて「今日はあの子とのお出かけなんでしょう? ちゃんといてあげないと」と困ったように笑う。
邪魔したのはあたしの方だけど、とつけくわえた後で「いや、ちゃんといてあげるのはそっちの僕の方か。かなえのこと、よろしくね」ともっと困ったような顔で笑う。
ほら、とかなえ姉を車に押し込むと、背中を向けて手をひらひらさせて家の方へ歩き始める。
僕はなんとなく明美さんが家の中には入るまで見ておきたい気分だったけれど、車のエンジンがかかってはっとなる。
置いていくと怒っているようでも、早くと急かすでもなく、空想のタバコの灰を落とすかのようにな指先を何度もハンドルに打ちつけていた。
もう片方の手が空想のタバコを咥え始め、二刀流になったのを見て、僕は急いでかなえ姉の後ろの席に座った。
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