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過去の自分より今の自分のほうがイケてる。

純文学を書こうと思いたち、3月末〆切の新潮新人賞に狙いを定めた。既に3月に入ってからの話だから、その時点で無理はあったと言えばあった。

制限枚数が(ミステリとかホラーに比べれば)少ないとは言え、イチから書きあげる時間はない。だから、過去に書いた作品の焼き直しを送ろうと思った。

別にサボりたかったわけじゃない。

そうじゃなくて、過去に書いた比較的「自信のある」純文学作品があって、それを手直しして文学賞に応募したいとずっと思っていた。

既に書き上げている作品、しかもそこまで長くない(原稿用紙換算150枚くらい)作品の推敲なら、1ヶ月近くあればなんとかなるだろう。じゃあ月末の新潮新人賞にも間に合わせることができる。

そういう算段だった。

その「自信のある」作品についての詳細は書かない。ただ、過去に一度応募して、一次審査も通らずに落ちたものだ、ということは言っておく。何に応募したのかは既に思い出せないけど、(村上龍に憧れていたから)たぶん群像だろう。

当時の自分は、なんだよ、と思ったはずだ。こんなにイケてる小説なのに。なんで一次も通らねえんだよ。

という前振りがあっての今回。

だけど、推敲をはじめたまさにその日のうちに、「なんだこれ」と思った。

こんな下手なの、通るわけねえじゃん。

そう思った。

むしろ、なんでこれで通ると思ってたんだよ。

……

……

そこから、推敲は意味合いが変わった。というか、推敲じゃなくなった。ストーリーや設定自体は悪くないけど、構成と文章がダメ過ぎる。これを軽く手直しして応募したところで、結果は見えてる。

で、書き直しを始めた。

書き直すことに、迷いはなかった。

ただ、まあ、1ヶ月弱で、書けるもんじゃない。仕事しながら150枚をイチから書くわけだから、これは間に合わないかもな。そう思いながらも、できるだけ時間を取ってガツガツ書いていった。

結果、作品はみるみるよくなっていった。

一度書いた作品の書き直しなのだから、過去の文章を活かせる場面も多々あるだろう。そう思っていたけど、驚くほどなかった。ほぼ100%書き直してる。まるでなってなかった。なんでこんな自己満足的な文章を書いていたのか。

劇的に生まれ変わっていく作品を前に、「もういいや」と思った。月末には多分間に合わないだろう。でもいいや。俺は今の全力でこの作品を仕上げて、仕上がったタイミングで文学賞に応募しよう。そう思った。

「自分を超える」という感覚は、「過去の自分より今の自分がイケてる」って感覚は、ふわっと香ることはあっても、なかなかリアルに感じられるもんじゃない。

でも今回、俺はそれをリアルに感じた。

過去の自分を卑下するわけでは決してない。その当時の俺だって、それなりに切実に頑張っていたのだと思う。

でも、(小説を書くということについては)確実に俺は成長している。過去に書いた、それも「自信のあった」作品を読んで、「お前マジでこれで上手と思ってたのか」と愕然とするくらいには、成長している。

そういう意味では、未来の自分が今の自分の書いた文章を読んで「お前マジか」「下手すぎワロタ」という感想を持つことは大いにあるだろう。でも、まあ、未来のことはわからないし。

ということで、自分を超えるという実感。

まっすぐ嬉しいわけでも、まっすぐ悲しいわけでもない、不思議な実感。

それを感じましたという話でした。

(若干酔っぱらって書いたので乱文です。失礼しました)


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