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時代錯誤の価値観

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オリンピックの演出において渡辺直美さんの容姿を揶揄する侮辱するような提案がおこなわれていた件が表沙汰になりこれに対して様々な意見が出ているが、個人的にはこうゆう議論がおこなえる時代になった事自体は良いではないかと思う。一方で、この出来事自体がかなり前の話であり、あくまでもクローズドな形での提案であったことからなぜこれが今のタイミングで流出したのかを問題視する声がある。確かにこの点については疑問に感じるが、今回の問題においてここを中心に話をしようとするのは論点のすり替えではないかとも思う。

1番の問題は容姿を揶揄する侮辱するような提案をいくらクローズな場であってもした事実ではないか。正直人それぞれの価値観はあるし、心の中で思う人はいるかもしれないが、それをどんな場であっても表に出した時点でアウト。本人は冗談だったのかもしれないし、その辺りは本人にしかわからない部分ではあるが、少なくとも自身の立場を考えれば表に出してよい事ではないという判断自体ができなかった事が論外なのではないかと思う。また、過去の実績や評価とやってしまった事は別問題であり、表沙汰になったから責任を取るというのも何か違うのではないか。

言い方は悪いが、今回表沙汰にならなければ何事もなかったかのように活動を継続していたわけであり、それを表沙汰になったから辞めますというのは問題自体に対してはそこまで反省ではないが、悪いという気持ちが無かったのではないか。別にわざわざ自らこうゆう発言をしましたと表沙汰にする必要はないが、一身上の都合という日本に都合の良い辞め方はあるわけだから本当に過ちを犯した場合には、責任を取るべきと考えていたならば当時にその対応ができたのではないかと思う。

結局、容姿だとか肩書きだとか経歴だとかが、判断基準の一部ではなく、主の部分になってしまっている社会の構造が時代錯誤なのではないかと思う。過去でも未来でもなく、現在こそが判断すべき部分であり、コアの部分をみる努力、本質をみようとする努力を怠ってる事が時代錯誤の価値観が生き延びてしまう原因なのではないかと強く感じる。

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